佐渡の銀山では最も古いといわれている「鶴子銀山」は、生家から北西へおよそ5kmの所にあります。
今人気のNHK大河ドラマ 「天地人」 の主人公 直江兼続 がゆかりの地、「鶴子銀山」を訪ねてみようと出かけました。
♪ 鶴が舞います鶴子の山で お山ご繁盛と舞い下る
佐渡おけさにも歌われるように、一時期は盛況を呈し、鶴子千軒と呼ばれるほど賑わった所といわれています。
山道を走ってT字路に突き当った所で、「鶴子床屋跡」 の案内が出ていました。
<別名「金糞平」とも呼ばれる「鶴子床屋跡」の案内>

その案内によれば、
「ここは精錬所が置かれた場所で、鉱滓(かなくそ)が大量に見つかることから、金糞平(かなくそたいら)とも呼ばれる。
また、嘉永元年(1848)に佐渡防衛のため、沢根の初代本間琢斉によって大砲鋳造が行われた場所でもある。」 と記されています。
沢根五十里の 「励風館」 には、初代本間琢斉の碑があります。
「鶴子銀山へ続く道を歩こう!」 と案内に出ていたので、500mほど歩いてみましたが銀山跡はほど遠く、諦めて山を一つ越えた西野の集落に向かいました。
西野の集落には、生家の菩提寺 「吉祥寺跡」 と 「金北山神社」 があります。
吉祥寺跡は、昨年の8月に一度来ています。 入り口の丸坊主だった石仏は、赤い帽子をかぶせてありました。
また、今回は石仏の横にあるお堂に初めて入ってみました。
堂内の厨子には諸仏をまつり、前の壇には十王像と思われる仏像が安置されていました。
<堂内に祀る諸仏(左)と入り口に並ぶ石仏群(右)>


再度西野集落を訪ねたのは、前回の訪問で見落とした「山師の墓」を見てみたかったからです。
鶴子銀山とかかわりがあったという 「山師の墓(秋田権右衛門)」は、吉祥寺跡から100mほど離れた所にあります。
入り口の案内をみると、
「初代 秋田権右衛門は、秋田から佐渡に渡り、元和期の有力山師 古口権兵衛に仕え のちに名跡を継ぐ。
天保元年(1644)には、城之下の多門寺を西野に移築して吉祥寺と改称し、その境内にあった小社を移転し金北山神社とした。
子供がなかった権右衛門は、秋田から権九郎という甥を迎えて二代目権右衛門とした。
二代目権右衛門は、相川の鳥越間歩などの開発・切延べなど銀山巧者として名声を高めた。
承応2年(1653)銘の五輪塔は、先祖古口権兵衛夫妻の供養塔か、秋田の両親の供養塔と考えられる。」 と記されていました。
生家の「吉祥寺跡」や「金北山神社」の起こり、また、銀山開発の山師を知る上で貴重な訪問となりました。
<山師にかかわる供養(五輪)塔>

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