2009年7月10日

楽山・凌雲寺

遊覧船の上から巨大な大仏を鑑賞したあとは、陸に上がって数百mほど歩いて凌雲寺(りょううんじ)に向かいました。

凌雲寺は、岷江と大渡河が合流する岷江東岸の凌雲山にあります。
また、寺院は仏教禅宗の寺で別名大仏寺とも呼ばれるといいます。

 <楽山大仏への入場口(左)と中国特有の竹藪通路(右)>
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境内には、天王殿弥勒殿大雄宝殿などの仏閣が点在し、その建立は唐の時代までさかのぼるといいます。
しかし、現存の建造物は明・清代に再建されたものと聞きました。

    <香の絶えることがない巨大香炉と大雄宝殿>
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大仏の右手に、絶壁に造られた急斜面の階段が見えます。
また、大仏頭部の後に、創始者海通禅師貴州人像がありました。

この辺りから眺める岷江は美しく、多くの文人墨客が訪れたところといいます。

蘇園と書かれた門をくぐって中に入ってみたら、あづまやがあり鯉が泳ぐ美しい庭園がありました。

<仏頭部へ向かう急な階段(左)創始者像(中)多宝塔(右)>
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2009年7月 9日

楽山大仏

成都市内から観光バスで約2時間走って楽山に着きました。

観光第一日目、中国のユネスコ世界文化遺産である「楽山大仏」を、遊覧船上と陸上からの見学です。

船上からの見学では、大仏の周りにガスがかかり輪郭がはっきりしませんが、巨大なことは確かです。

<遊覧船上から眺める大仏と今回の現地ガイド鄭さん(右)>
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平成7年(1995)11月、中国返還前の香港を訪ねたことがあります。

その時のオプショナルツアーで深圳に行き、ミニチャイナで楽山大仏(ミニチュア)を観たのが最初です。

また、香港から深圳に入るときは、武装兵士に護衛されて入国した怖い思い出があります。

<陸に上がって右側面から観る大仏と左側面から観た大仏>
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凌雲山の岸壁に彫られた世界最大の楽山大仏(正式名:凌雲大仏)は、弥勒菩薩といいます。

高さ71m、肩幅28m、頭部の高さ14m、頭部の直径10m、足の甲には100人が乗れるといわれています。

大仏の完成は唐代の803年の完成で、90年の歳月をかけて造られたものといいます。 それにしても巨大な大仏でした。

<対岸から眺めて「楽山睡仏」といわれる凌雲山と鳥尤山>
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2009年7月 8日

成田から上海・成都へ

午前10時55分、中国東方航空(MU-0272便)で上海へ。 約3時間のフライトで上海浦東国際空港に着陸しました。

成都行きは17時のフライトです。 空港での待ち時間は十分です。

  <成田空港内のJAL機と中国東方航空の機内食>
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その待ち時間を利用して、リニアモータ-カーの乗車体験です。

特別なこと以外、めったに乗れるものではありません。 さっそく申込みました。

最高時速430キロが出るといいます。 往路で最高時速を撮ろうとして失敗しました。 復路は旨く撮れました。 

        <最高時速431キロの瞬間を撮る>
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往路で一旦下車し、復路の発車時間まで少し時間があります。

停車中のリニアモーターカーと上海市内を眺め、その一部をカメラに収めてきました。 happy01 coldsweats01

 <停車中のリニアモーターカーと駅から眺めた上海市内>
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2009年6月28日

巡回ラジオ体操

6月28日(日)、21年度特別巡回 「ラジオ体操・みんなの体操」 があり参加しました。

   <体操会場である前橋市立高校グランドの横断幕>
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午前5時に自宅を出て会場に向かう。 早くも会場には大勢の人が来て並んでいました。

場所は先着順です。 中央正面前よりの前から3列目に並びました。

開会式では、「前橋は中核都市となった。 前橋元気21のPRをしてほしい。」 との前橋市長のあいさつに続いて、本日のスタッフの紹介がありました。

  <前橋市長のあいさつと今日の体操指導スタッフ一同>
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<画像上左> あいさつをする、高木前橋市長、
<画像上右> 左から
  体操指導:長野 信一さん、 ピアノ演奏:加藤由美子さん、
  アシスタント:家根本織永さん、アシスタント:有賀暁子さん

♪ 新しい朝が来た 希望の朝が 喜びもに胸を開け 大空あおげ
  ラジオの声に 健やかな胸を この香る風に 開けよ 一 二 三
           (作詞:藤浦 洸 作曲:藤山 一郎)

いつ聞いてもラジオ体操の歌は素晴らしいメロディです。 固い体も自然と躍動感が湧いてきます。

間もなく子供たちの夏休みがきます。 近くの公園で朝のラジオ体操が始まります。 

また、夏季と特別の 「巡回ラジオ体操」 があります。 県内の開催であれば出かけるようにしています。

昨年は、北毛地区の片品村で行われた 「夏期巡回ラジオ体操」 に参加しました。

参加の都度、記念撮影をお願いしています。 今年も巡回ラジオ体操の思い出の写真ができました。 

  <記念撮影(左端本人)と巡回ラジオ体操のポスター>
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※ お知らせ! airplane
  6月29日~7月7日の間、ブログをお休みします。
  再開時はまた宜しくお願いします。 

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2009年6月27日

小木から直江津へ

群馬へ帰るという日に智光坊~蓮華峰寺~海潮寺~矢島・経島と 回って観てきました。

佐渡最南端の 「沢崎鼻灯台」 を巡るコース、羽茂の小泊から素浜、小木の大浦、田野浦、沢崎鼻、深浦、宿根木、小木港と約23kmを走れば、佐渡島を一周することになるのです。

しかし、沢崎鼻灯台方面は昨年8月の帰省で回っているので、佐渡最南端のコースは省きました。

午前10時20分、小木港を出港したカーフェリー こがね丸 は、一路直江津港へと向かいます。 

 <カーフェリーこがね丸の船上から城山公園方向を摂る>
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こがね丸の甲板に上がって、遠ざかる小木の入り江を眺めました。

小木には「内の澗(ま)」、「外の澗」 があり、出船千艘・入船千艘で賑わった港といいます。

小木おけさに
 ♪ 小木の入江も静かに暮れて とまり船より立つけむり
 ♪ あかね眺めについ乗りおくれ またの船待つ小木港

乗客からの餌を求めてカモメが、カーフェリーを追って飛んできます。

  <餌を求めて飛び交うカモメ と「イルカ」のモニュメント>
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船内に戻れば、沢根出身の芸術家宮田亮平(現東京芸大学長)氏のモニュメント 「イルカ」 があります。

季節によっては航行中の船と一緒に泳いでいたのを思い出します。 また、夏の帰省では、トビウオが飛ぶ姿も懐かしい思い出です。

船内の売店で買った 『新・にいがた 「歴史紀行」』 を読み進むうち、直江津港に入りました。

小木ー直江津間のカーフェリーの所要時間は、2時間30分です。 

   <直江津港の赤い灯台と港内で行き交う貨物船>
360362_2  <佐渡島紀行文(完)>

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小木の「矢島・経島」

四所五所桜がある海潮寺の山門前の坂道を下ると、「矢島・経島」 の海岸に出ます。

ここは私の好きな観光ポイントの一つです。 友達を連れてきたときは必ず立ち寄る景勝地です。

<浪曲佐渡情話「お光の碑」と矢島・経島へ通ずる太鼓橋>
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朱塗りの太鼓橋は撮影ポイントです。 
太鼓橋の根元で透明な海の中を覗いていたら、ウミウシが動き出し 「爺さんよく来たなぁ」 というように背伸びをしました。 愛嬌者です。

太鼓橋を渡った手前の岩山が「経島」です。 
昔、日蓮の赦免上を持参した日朗 が、3月7日の夜に難破にあい、この岩の上で一晩中読経したことから、経島と呼ぶようになったといいます。

経島と続く「矢島」は、矢竹が採れたことからその名が付いたといわれています。

ここでも、源頼政が怪物鵺(ぬえ)退治をした弓の矢竹が、ここ矢島で採れたものという伝説が残ります。

今は採りつくされて矢竹はないといいますが、
唯一、矢島に残る元農林大臣山本悌二郎(1870~1937)の元別荘の天井に飾りが見られるといいます。

  <記念撮影ポイントの太鼓橋と背伸びをするウミウシ>
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静かな入江は透明度抜群です。 子供が小さい頃この海で泳ぎながらベラ釣りをした思い出があります。

また、友達とたらい舟に乗ったとき、櫂の漕ぎ方が旨いと褒められたことがあります。
しかし、私が漁師のせがれだということは打ち明けていません。

     たらい舟 漕ぎだす沖へ 蝉しぐれ   昭一

友達と、たらい舟に乗っていて詠んだ思い出の一句です。

  <矢島・経島の静かな入江と観光客が乗るたらい舟>
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外海府方面では咲いていなかったイワユリが、ここ南海岸の小木は暖かいのでしょうか、可憐なイワユリが咲いていました。

   <荒々しい岩肌から顔を出して咲く可憐なイワユリ>
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2009年6月26日

小木・海潮寺

小木へ来て回って見たいと思っていたのが、順徳上皇お手植えの桜がある四所五所桜で有名な「海潮寺」です。

海潮寺は小木の名所 「矢島・経島」 へ行く途中にあります。 これまで海潮寺の前は何度も通っていますが寄ったことがありません。

山門をくぐると、本堂に向かって石畳が伸びています。 その中間を過ぎると、柵に囲まれて「五所桜」がありました。

     <旧小木町元小木にある海潮寺の山門>
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佐渡おけさに
  ♪ 佐渡の岬の四所五所桜 枝は越後へ葉は佐渡へ

若いころは「五所桜」を知らずにおけさを歌っていましたが、順徳上皇お手植えの五所桜が、ここ海潮寺にあったとは知りませんでした。 

お手植えの桜は「サトザクラ」といいます。
「花は白く匂いをはなち、黄芽から一葉と八重が混じり咲き、花弁の先端が不規則に細裂する珍しいもの。」 といいます。

現在の桜は、根から芽が出た“ひこばえ”といい、国の天然記念物に指定されています。 

桜の見ごろは、4月の末から5月の初めころといいます。
帰省チャンスがあれば、桜の咲いているところを観たいものです。

 <順徳上皇自らのお手植えと伝えられる「サトザクラ」>
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海潮寺は、佐渡金山奉行大久保長安の家臣である原土佐が建立した菩提寺で、はじめ東泉寺と称したが寛文4年(1664)ころ、梵音山海潮寺となったといいます。

静かな境内では、怖い顔をした石像が五所桜の方を向いて、にらみをきかせていました。

<海潮寺の本堂(左)と境内でにらみをきかせる石像(右)>
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2009年6月25日

小木・蓮華峰寺(続)

弘法堂前の坂を下ってくると、天保15年(1844)建立の「密厳堂」の前に来ました。

密厳堂は、智光坊を建てた 村山村の高野甚左衛門といいます。

密厳堂から「小比叡神社」に来ました。 山王宮、白山宮、天満宮を祀る本殿と石鳥居は、国の指定重要文化財です。

 <密厳堂(国の有文・左)と小比叡神社(国の重文・右)>
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小比叡神社から東へ回ると、
応永年間(1394~1428)の建立(推定)といわれる 入り母屋造りの「金堂(国の重文)」の前に来ました。

その金堂から南へ一段下った所に「唐門」があります。 唐門の横には四面七段の願掛け地蔵尊が並んでいます。

地蔵尊の後方には、スイレンが咲き始めた池があります。 池中央のあづまやから眺める「客殿」は見応えがあります。

また、客殿の前には樹齢600年という雄の大イチョウがあります。 案内によれば、切り口には17種の宿木が寄生しているといいます。
私の目が届くところでは、サクラが1本生えていました。

    <唐門(国の重文・左)とスイレンが咲く池(右)>
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唐門をくぐると左手に、間口14間(25,2m)、奥行き9間(16,2m)の入り母屋造りの「客殿」があります。

中を覗くと、三つ葉葵の御紋が付いた横幕の上に、「小比叡山」と書かれた金箔文字の額が架かっていました。

  <静かな池から大イチョウと客殿(国の有文)を摂る>
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時計と反対回りに見て歩いています。 最後は仁王門に来ました。

一対の金剛力士像は、いずれもケヤキ材を使用し、制作時期は鎌倉時代(14世紀前半頃)と推定されるといいます。

朽ちたような歴史ある金剛力士像は、新潟県指定の文化財です。

 <仁王門(国有文)と金剛力士像(吁形(中)・阿形(右)>
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蓮華峰寺はアジサイ寺とも呼ばれています。 訪れたのが5月25日でした。 今ごろアジサイは見ごろを迎えていることでしょう。

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2009年6月24日

小木・蓮華峰寺

倉谷の智光坊から砂金で有名な西三川、羽茂に入って小泊、村山を過ぎると、国道350号の左手に「小比叡山蓮華峰寺」があります。

佐渡は京都の鬼門にあたることから王城鎮護の霊場として、空海によって開かれたといわれています。

杉木立の広い境内のあちこちに、国の指定重要文化財や国の有形文化財が点在しています。

  <三つ葉葵の御紋が付いた横幕のある入り口の門>
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入り口の門をくぐると、坂を下る石段があり仁王門へと続きます。
その石段を下りずに右手の参道を歩いて観て回りました。

山深い境内にひと際目立つ朱色の「八角堂」があります。 銅板葺き屋根の八角堂は、江戸中期の建立といいます。

八角堂から参道を挟んで弘法大師像が建つ後方に、木造二階建て銅板葺の「鐘楼堂」があります。 

   <八角堂(国の有文・左)と鐘楼堂(国の有文・右)>
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八角堂の並びに「霊廟」が、鐘楼堂の横には「経蔵」とその並びに「八祖堂」、「骨堂」があります。

銅板葺の八祖堂は、江戸中期の建造物と言われ、茅葺屋根の骨堂は新潟県下最古の建造物といいます。

    <八祖堂(国の有文・左)と骨堂(国の重文・右)>
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坂を下ると「弘法堂」へ続く参道に架かる石造りの橋、「無明橋」があります。

長さ4,1m、幅員1,6mの石橋(33枚)の橋石の裏には三十七尊の梵字が刻んであるといいます。
また、徳川末期までは女人の通行は禁止であったといいます。

慶長14年(1609)建立という弘法堂は、室町時代の造風が見られ、堂内には弘法大師座像が安置されているといいます。  つづく

   <無明橋(国の有文・左)と弘法堂(国の重文・右)>
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2009年6月23日

真野・智光坊

今日は群馬へ帰る日です。 佐渡へ来る時は関越自動車道を新潟へ出て、新潟港から佐渡の両津港に着きました。

帰りは佐渡小木港から直江津港を経て、上信越自動車道で帰ろうと国道350号を小木に向かって走りました。

真野倉谷の集落に来ました。 国道右手の狭い道を海側へ300mほど下ると、倉崎山智光坊があります。

佐渡百選にも選ばれている智光坊には、見事な彫刻があると聞いて立ち寄りました。 

      <智光坊山門(左)と山門上の彫刻(右)>
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倉崎山智光坊の案内には、
「新義真言宗蓮華峰寺末寺、本尊: 千手観音。 宝暦年代の寺社帳によれば、大同3年空山を開山とする。

江戸時代の御朱印地で、「不動さん」を管理。 境内の金毘羅権現は天保4年(1833)8月、棟梁の村山村 高野甚左衛門によって建立。

外面の四隅及び柱の簗上に〈竜〉を描き、〈天女・虎・麒麟・鳳凰・獅子・松・水草〉などを配置し、精巧な建築美を現わしている。」
と、記されています。

      <智光坊本堂(左)と本堂上の彫刻(右)>
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   <金毘羅権現堂(左)と権現堂正面上の彫刻(右)>
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 <権現堂正面上の彫刻(左)とお堂側面上の彫刻(右)>
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カーフェリーの出港時間もあり、ゆっくり鑑賞することができません。
次に見学予定の旧小木町の古刹 「小比叡山蓮華峰寺」 に向かいました。

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2009年6月22日

鶴子銀山と山師の墓

佐渡の銀山では最も古いといわれている「鶴子銀山」は、生家から北西へおよそ5kmの所にあります。

今人気のNHK大河ドラマ 「天地人」 の主人公 直江兼続 がゆかりの地、「鶴子銀山」を訪ねてみようと出かけました。 

  ♪ 鶴が舞います鶴子の山で お山ご繁盛と舞い下る

佐渡おけさにも歌われるように、一時期は盛況を呈し、鶴子千軒と呼ばれるほど賑わった所といわれています。

山道を走ってT字路に突き当った所で、「鶴子床屋跡」 の案内が出ていました。

  <別名「金糞平」とも呼ばれる「鶴子床屋跡」の案内>
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その案内によれば、
「ここは精錬所が置かれた場所で、鉱滓(かなくそ)が大量に見つかることから、金糞平(かなくそたいら)とも呼ばれる。
 
また、嘉永元年(1848)に佐渡防衛のため、沢根の初代本間琢斉によって大砲鋳造が行われた場所でもある。」 と記されています。

沢根五十里の 「励風館」 には、初代本間琢斉の碑があります。

鶴子銀山へ続く道を歩こう!」 と案内に出ていたので、500mほど歩いてみましたが銀山跡はほど遠く、諦めて山を一つ越えた西野の集落に向かいました。

西野の集落には、生家の菩提寺 「吉祥寺跡」 と 「金北山神社」 があります。

吉祥寺跡は、昨年の8月に一度来ています。 入り口の丸坊主だった石仏は、赤い帽子をかぶせてありました。

また、今回は石仏の横にあるお堂に初めて入ってみました。 
堂内の厨子には諸仏をまつり、前の壇には十王像と思われる仏像が安置されていました。  

  <堂内に祀る諸仏(左)と入り口に並ぶ石仏群(右)>
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再度西野集落を訪ねたのは、前回の訪問で見落とした「山師の墓」を見てみたかったからです。

鶴子銀山とかかわりがあったという 「山師の墓(秋田権右衛門)」は、吉祥寺跡から100mほど離れた所にあります。

入り口の案内をみると、
「初代 秋田権右衛門は、秋田から佐渡に渡り、元和期の有力山師 古口権兵衛に仕え のちに名跡を継ぐ。

天保元年(1644)には、城之下の多門寺を西野に移築して吉祥寺と改称し、その境内にあった小社を移転し金北山神社とした。

子供がなかった権右衛門は、秋田から権九郎という甥を迎えて二代目権右衛門とした。

二代目権右衛門は、相川の鳥越間歩などの開発・切延べなど銀山巧者として名声を高めた。

承応2年(1653)銘の五輪塔は、先祖古口権兵衛夫妻の供養塔か、秋田の両親の供養塔と考えられる。」 と記されていました。

生家の「吉祥寺跡」や「金北山神社」の起こり、また、銀山開発の山師を知る上で貴重な訪問となりました。

       <山師にかかわる供養(五輪)塔>
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2009年6月21日

金鶴と沢根だんご

生家のある佐渡市沢根五十里(いかり)のみやげは、地酒「金鶴」と「沢根だんご」が有名です。

酒はたしなみませんので、友達から地元の冷酒 「金鶴」 が美味しいと聞いて、みやげに地酒を買って帰りました。

      <清酒 「金鶴」 を酒造する加藤酒造店>
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帰宅して直ぐ、スイミング仲間と 奥利根湖でカヌー挑戦 をしました。

カヌーを漕いで空腹となったお昼時、陸に上がって持参の「金鶴」で乾杯をしました。 「これは上手い!」 と言ってくれた時は、買ってきてよかったと思いました。

<店舗に並ぶ地酒(左)と清酒「金鶴」・「天の夕鶴」(右)>
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よく歌われる民謡に、次のような歌があります。

  ♪ 沢根通れば だんごが招く だんご招くな 銭がない

古里の名物の歌として感心しない文句のように思います。 しかし、食べて美味しいのが名物です。

天保年中(1830~)、沢根の佐藤久次郎が工夫創製し、沢根下町の「中の茶屋」で売り初めたのが最初と聞いています。

当時の沢根は出船入船の盛んな港があった頃です。 また、相川往復の人通りの多い時でもあったので評判となり人気があったといいます。

     <沢根だんごの製造販売元「いけだ菓子舗>
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私の記憶するところでは、沢根だんごは太平洋戦争中から戦後しばらくは作られていませんでした。 

私が生まれて初めて沢根だんごを口にしたのは、世の中の経済が少し上向いた昭和27年(1952)頃だったと思います。

当時、地元の俳句会に入会していたころ、句会の休憩時間にお茶菓子として出されたのが沢根だんごです。

物不足の時代です。 少しオーバーな言い方をすれば、「世の中に こんな旨いものがあったのか」 と思うほどでした。 
外皮がうすくて、甘い漉し餡(こしあん)が入った一口だんごです。 

いけだ菓子舗内には、沢根出身の現東京芸大学長の宮田亮平氏のサイン色紙がありました。

色紙の上には、亮平氏の実兄、第三代 宮田藍堂氏(故人)が書いた 「沢根だんご」 の大きな看板もありました。

<名物 「沢根だんご」(左)と宮田亮平氏サイン色紙(右)>
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