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2008年9月 4日

本典寺&法然寺

大安寺から急な坂道を上って着いたのが、日蓮宗の本典寺です。

下寺町というだけあって、本典寺、観音寺、法然寺、法輪寺、蓮長寺、妙円寺と並んでいます。 先ず、本典寺から参詣しました。

・日蓮宗 本典寺
045_2 元和9年(1623)、豪商・山田吉左衛門が建てた寺といいます。 
 墓地には元禄の奉行・萩原重秀の供養塔と、その子萩原源八郎奉行の墓があるといいます。
 重秀・源八郎両奉行親子の供養塔と墓を探しましたが、探し方が悪かったのでしょうか、見つけることができずに本典寺を出ました。

・浄土宗 法然寺
049 本典寺の左が法然寺です。
 慶長11年(1606)、河原田から移転した寺といいます。
 山門をくぐって境内に入るとすぐ右手に、江戸初期の石仏や黒沢金太郎の墓、大熊善太郎奉行の墓などが並んでいました。

・黒沢金太郎の墓
09 寺の案内によると、
 「佐渡の施釉陶器の元祖。
 代々「金太郎焼」で知られ、多くの日常雑器、茶器を作陶した。
 晩年は浄土宗に帰依して、当時十八世忠誉の弟子になり天保12年(1841)に72歳で没した。
法然寺」 と、記されています。

・大熊善太郎嘉住の墓
11 寺の案内によると、
 「江戸城西ノ丸広敷用人から嘉永5年(1852)2月佐渡奉行になり、翌年2月67歳で相川で病死した。
 武蔵国(江戸)の出身で先祖は大阪の陣で活躍した堀直竒に仕えた。
 幕末、佐渡の近海に異国船がきたころ、海岸防備と、武芸の奨励に治続があった。
後継者は現在東京都大島町波浮港に在す。  法然寺」
と、記されています。

庄吉・おさん 比翼塚
046 この墓は、本典寺の西にありました。
 寺の案内によると、 
 「宝暦6年(1756)10月、当地で心中した紺屋の倅庄吉(32才)と、番匠の娘さん(17才)の墓地。
 “死骸は捨てさらした” と記録にある。
 当時 “おさん・仙次郎心中濃茶染” という くどき(相川音頭)にもうたわれた。

法然寺」 と、記されています。

何か お墓の話ばかりになりましたが、今昔を問わず人にはそれぞれの歴史があります。
その人の歴史を知るには、お墓めぐりも致し方ありません。

金太郎焼は、子供のころに聞きました。 また、佐渡奉行を勤めた人が何人いたかも興味が湧くところです。

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