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2008年12月31日

金古・常楽寺(続)

常楽寺本堂の裏に、「往生楽土法塔供養塔」 が建っていました。
その供養塔の横に1本の大きな落葉樹があります。

落葉樹の横に、「菩提樹」(ぼだいじゅ)の案内板が立っています。

・シナボダイジュ(左)と、往生楽土法塔供養塔
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菩提樹(ぼだいじゅ)
「中国原産のシナノキ科のシナボダイジュ。 
お釈迦さまは菩提樹の下で坐禅をしてお悟りを開いたと伝えられるが、それはクワ科のインドボダイジュの木である。

気候の関係で、中国ではこの木がボダイジュとして植えられていた。

日本では、栄西禅師(1141~1215)がその種子を持ち帰って植えたのが最初といわれる。」 
と、記されていました。 (※初めて知りました。)

菩提樹といえば、2006年3月、インドはカジュラホのジャイナ教寺院群(東群)を訪ねた時のことです。

ラクシュマナ寺院の裏手に1本の菩提樹がありました。 葉っぱが手の届く高さにあったので、栞にと採取してきたことを思い出しました。

シナボダイジュの木は落葉しています。 どんな花が咲いてどのような葉が出てくるのか、一度見てみたいものです。

・十一面観世音菩薩       ・不動明王像
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シナボダイジュの西側に、十一面観世音菩薩像が立っています。

ご真言 = 「おんまか きゃろにきゃ そわか
       「慈しみと あわれみのお心を 注いでください。」 合掌

墓地の手前の広場に黒ずんだ建物が見えます。 
近づいて見ると、ここは卒塔婆(そとば)などの焼却炉でした。
焼却炉の中には、煙で黒くなった不動明王が祀られていました。

ご真言 = 「のうまく さぁまんだぁ ばあさらだぁ せんだん
     まぁかろしゃだあ そわたや うんたらたぁ かんまん
   「偉大な破壊力で、煩悩や苦しみを打ち砕いてください」 合掌

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2008年12月30日

金古・常楽寺

群馬温泉「やすらぎの湯」の帰り道、近くの 「曹洞宗常楽寺」 に立ち寄りました。

・曹洞宗 常楽寺 山門      ・怖い形相の石仏坐像    
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狭い路地を奥へ進むと山門がありました。 山門前の右手には石仏が並んでいます。 

その一番手前に、怖い顔をした大きな石仏坐像がありました。 
坐像の台座には、「宗祖道元禅師生誕80年」 と刻まれています。 怖いお顔の石仏は道元禅師像でしょうか?

山門前に来ると、掲示板に次の教えが出ていました。
「信仰は 見えないものへの信頼である。 人間は 自分に都合の悪い人を悪い人だと云う。」

また、山門の塀には「仏教とは」(法句経)の教えが出ていました。
   諸悪莫作 しょあくまくさ   衆善奉行 しゅうぜんぶぎょう
   自浄其意 じじょうごい   是諸仏教 ぜしょぶっきょう

「もろもろの悪を作(な)すなかれ、衆(かお)くの善を奉行せよ、自ら其の意を浄(きよ)めよ、これ諸仏の教えなり。 あらゆる悪をなさず、善を実行し、自己の心を浄める。 これがほとけさまの教えです。」 
               - 七律通戒偈 ー

「仏教とは」 のメモを取りながら、法句経の教えを学びました。

山門をくぐって本堂前に進み、心静かに手を合せました。  合掌

上を見上げると、本堂の屋根瓦の鬼面が冬空に輝いて見えました。

本堂の前に安置されている 「なで仏」(十六羅漢)をカメラに収めて、本堂の裏へ回って見ました。           (つづく)

・常楽寺本堂(左)と、見事にそりあがった本堂の屋根と鬼面
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2008年12月28日

日帰り温泉

2008年の暮にきて、「群馬温泉やすらぎの湯」 の招待券を貰ったので日帰り温泉を楽しんできました。

やすらぎの湯はこれまで何回か利用しています。 肌にやわらかく、ゆったりとした気分で温泉浴が楽しめます。

・やすらぎの湯 「石碑」     ・飲用できる外の「源泉」    
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はにわの里 日帰り温泉
「静かな はにわの里 に湧く天然温泉、安らぎの湯。 温度の高いお湯があふれる大浴場、露天風呂、うたせ湯、サウナなど・・・。 
気軽に、ゆったりとした一日を お楽しみください。」
       (※以上、「やすらぎの湯 パンフレット」 より)

玄関の前に飲用源泉があります。 温泉効能も出ていました。

泉質は、ナトリウム塩化物 炭酸水素塩泉 (弱アルカリ性高温泉)といいます。

「ちなみに私に該当する浴用適応症は?」 と、読んでみると、痔疾、疲労回復、冷え性、健康増進が該当するし、飲用適応症の項では、鉄欠乏性貧血が該当するのではと思いながら読みました。

弱アルカリ高温泉です。 ぬるめの露天風呂を選んで入りました。

天然ガスを利用したかがり火は風情があります。
ゆったりと露天風呂に体をしずめて、心身ともにリフレッシュした群馬温泉やすらぎの湯でした。 coldsweats01

・温泉自慢の「露天風呂」    ・露天風呂の「かがり火」
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2008年12月26日

横浜・中華街

横浜の中華街を訪ねるのは、横浜マラソンに初めて参加した時以来17年ぶりです。 

その年は、横浜マラソンの開催日が変更になり、11月にもマラソンがあって2度の訪問でした。 (翌々年のマラソンも参加しました。) 

・山下町の横浜媽祖廟(左)と、媽祖廟側から撮った門
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今回の旅は、「紅葉の鎌倉ぶらり旅と横浜中華街」 です。 
鎌倉を発って15時過ぎに着いて、1時間40分のフリータイムです。

延平門(西)から善隣門へ。 賑やかな中華街大通りを眺めながら歩いて朝陽門(東)に来ました。 

朝陽門(東)を右に曲がって、南門シルクロードを歩いて山下町の 「媽祖廟」 に来ました。 ここは初めて訪ねる廟です。

・山下町公園「會芳帝」(左)と、横浜中華街「関帝廟」
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媽祖廟をカメラに収めて、山下町公園 「會芳亭」 から関帝廟通りを歩いて 「関帝廟」 に来ました。 ここは人が大勢いて賑やかです。

・関帝廟前から撮った門(左)と、関帝廟通りの地久門
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横浜に来れば中華街の散策と食事、土産の月餅は欠かせません。

以前、マラソン大会に来て土産に月餅を買った店があります。 
マラソン完走後に山下公園方向から来たので中華街大通りです。

やっと探し当てて月餅を買い、バスの時間に間に合いました。 happy01

スタート地点の山下公園や港の見える丘公園、外人墓地、横浜スカイブリッジは、マラソン完走後に散策した懐かしい所です。

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2008年12月24日

鎌倉・円覚寺

19年前の前橋市民号「鎌倉の旅」では北鎌倉駅で下車し、円覚寺から南へ明月院、建長寺、鶴岡八幡宮と回って観てきました。

今回の旅は、鶴岡八幡宮から建長寺、明月院、円覚寺と北のコースを選んで、帰りは再び鶴岡八幡宮に戻るコースでした。

ゆっくり円覚寺を見学していたのでは時間が足りません。 総門前に立って、立派な山門を眺めて引き返すことにしました。 weep 

・円覚寺の標柱
053 家に帰ってから
 円覚寺の縁起を調べてみました。

 山号 : 瑞鹿山円覚興聖禅寺
      (えんがくじこうしょうぜんじ)
 本尊 : 宝冠釈迦如来
 開基 : 鎌倉幕府執権:北条時宗
 開山 : 無学祖元(中国からの僧)
 国宝 : 舎利殿・梵鐘

11月も終わりです。 円覚寺への上り口の紅葉は奇麗でした。

石段を上った上から紅葉を撮る
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円覚寺上り口左側の紅葉を撮る
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2008年12月22日

鎌倉・明月院(続)

仏教感を表現したという枯山水庭園を観賞し、明月院歴代の住職を祀る、開山堂(宗猷堂・そうゆうどう)に来ました。

・開山堂(宗猷堂)        ・明月院やぐら(羅漢堂)
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開山堂の案内には、 
「明月院の境内に建立されていた宗猷堂を、後に開山堂に改めたものであり、歴代住職の位牌が祀られている。」 
と、記されていました。 茅葺き屋根の落ち着いた感じのお堂です。

開山堂の左手に 「明月院やぐら」(羅漢洞)がありました。 

案内には、「やぐら」 とは中世鎌倉時代特有の洞窟墳墓である。」 

「開口7m、奥行き6m、高さ3m、壁中央には釈迦如来、多宝如来の二仏と、十六羅漢を浮き彫りにして、中央に明月院開基 上杉憲方公を祀る宝筺印塔、その前に禅宗様式を表す香炉が安置されている。」 と、記されていました。 
案内を読んで初めて 「やぐら」 の意味を知りました。 happy01

・瓶(かめ)の井(つるべの井) ・丸窓から庭園を眺める
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瓶の井は、鎌倉十井の一つといいます。 
岩盤を垂直に掘り貫いて造った井戸で、中程が水瓶のようにふくらみがあることから 「瓶の井」 と呼ばれるといいます。 

明月院は、アジサイが有名です。 本堂の裏手の庭園も有名です。

方丈(本堂)の隣部屋の丸窓を通して、庭園の紅葉を撮りました。

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2008年12月20日

鎌倉・明月院

別名あじさい寺で有名な明月院は、建長寺から北西の方向に歩いて約5分の所にありました。 

・明月院 「総門」                             
036 明月院
 山号 : 福源山明月院
 宗派 : 臨済宗建長寺派
 本尊 : 聖観世音菩薩
 開祖 : 関東管領:上杉憲方
 開山 : 初代住職:密室守厳
      (みっしつしゅごん)
 ※宗猷堂(そうゆうどう・開山堂)に安置されています。

・月笑庵             ・北条時頼公墓所
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総門横の明月院の案内によれば、
「開基は上杉憲方、開山は密室守厳で、もと北条時頼の建てた最明寺と時宗が再興した禅興寺の塔頭です。」

「禅興寺は廃寺となり、この寺には北条時頼公墓所、上杉憲方公墓所があり、あじさい寺でも有名です。」 と、記されていました。

本堂の前に、須弥山をかたどったという枯山水庭園がありました。

・枯山水庭園     
041 明月院を訪ねたときは11月も終わりでした。 
 太陽の落ちるのが早くて、見事な庭園も半分が日陰となっていました。 
 新緑の花の咲くころに訪ねたら、最高の眺めだろうと思いました。

仏教観を表現したという枯山水庭園、静かに眺めていると心が落ち着いてきます。

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2008年12月18日

鎌倉・建長寺(続)

仏殿の後方には、関東最大といわれる法堂(はっとう)があります。

法堂は、住職が仏に代わって説法をするお堂といいます。 その法堂(重要文化財)には、千手観音菩薩が祀られています。

・法堂の「釈迦苦行像」
030 千手観音菩薩のご真言は、
 「おんばざら たらま きりく
 「強い慈悲のお心で、
  私たちの煩悩を打ち砕いて
  ください。」    合掌
 千手観音菩薩像の前には、
 パキスタンから奉納されたという
釈迦苦行像」 が安置されていました。

・法堂の天井画「雲龍図」
031 法堂を見上げると天井には、
 天井画 「雲龍図」 が描かれていました。
 案内には小泉淳作とあります。 
 「入堂した者に、
  法雨をそそぎ仏法の恵みを与えてくれる。」 といいます。
法堂の裏手に重要文化財の 「唐門」 がありました。
 
・唐門(重要文化財)
032_2 唐門の撮影は、
歩きながら撮ったので右下がりの画像となりました。
 唐破風屋根の落ち着いた雰囲気の唐門は、別名「勅使門」とも呼ばれるといいます。
 
現在、唐門は閉ざされていて通り抜けはできません。

・庭園の中心「蘸碧池」
035_2 唐門の奥には 「方丈」(龍王殿)があります。 
 その背後には禅寺を象徴する「庭園」(名勝史跡)がありました。
 庭園は開山大覚禅師の作といいます。
 また、「蘸碧池」(さんぺきち)とは、緑の木々の色が青い水にひたって輝いていることを表現している。」 といいます。

・庭園築山の紅葉        
034 訪ねた時は紅葉の季節でした。 池への投影はなかったものの築山のモミジの紅葉が奇麗でした。
 方丈の回廊には椅子が用意してあります。
 腰を下ろしてゆったりと庭園鑑賞を楽しむ人が大勢いました。

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2008年12月16日

鎌倉・建長寺

鶴岡八幡宮から小町通りへ出て北上し、鎌倉五山の一つ建長寺に向かいました。

建長寺といえば中学校の歴史の時間で、鎌倉五山ついてクラスの前に出て発表したことがあります。

50余人クラスの前で発表するのは初めてのことでした。 どのように発表したかは忘れましたが、心臓がどきどきと高鳴ったことだけは憶えています。

・総門(別名:巨福門)      ・三門(重要文化財)
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建長寺の縁起によれば、
建長寺は、巨福山(こふくさん)建長興国禅寺といいます。

総門には、「巨福山」 と書かれた大きな額が架かっています。 
扁額をよく観ますと、「巨」の字に1点が加えられています。 縁起には、筆の勢いで書いたものと記されています。

そういえば、我が家の 「土」 の文字の右肩に点をつけた印鑑があります。 家代々のものかは定かでありません。

総門は 「巨福山」 の扁額から、「巨福門」 とも呼ばれるといいます。

重厚な山門は、安永4年(1775)の再建といいます。 楼上に五百羅漢像(非公開)があるとといいます。 ダメといわれるとなおのこと見てみたいのが人情です。

・梵鐘(国宝)
027 梵鐘は2,7トンあるといいます。

 「建長7年(1255)に、大和権守(やまとごんのかみ)物部重光が鋳造したもので、梵鐘には、大覚禅師による建長寺の銘文が浮き彫りにされている。」 といいます。

国宝の梵鐘、銘文を見落としてきたことが悔やまれてなりません。

建長寺の仏殿には、ご本尊 地蔵菩薩坐像が安置されています。

地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道の、六道に堕ちた大衆の身代になるという地蔵菩薩です。

・仏殿(重要文化財)       ・ご本尊「地蔵菩薩」
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  ご真言 = おん かかかびさんまぁ えいそわか

  「どうか 私たちに大きな徳を与えてください。」   合掌

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2008年12月14日

鎌倉・鶴岡八幡宮

鎌倉を訪ねるのは、平成元年(1989)2月以来2度目の旅行です。

・鶴岡八幡宮 「三の鳥居」   ・参拝客で賑わう参道
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前回は、前橋駅からの前橋市民号 「鎌倉の旅」 でした。

電車で移動し北鎌倉駅で下車、その後フリータイムとなって集合は鎌倉駅でした。

今回の旅は鎌倉八幡宮の二の鳥居で下車し、1時間30分のフリータイム後、集合は下車地点の二の鳥居でした。 

日本三大八幡宮の一社で鎌倉幕府の宗社といいます。 
主祭神は、応神天皇・比売神・神功皇后で、祭礼は9月15日です。

二の鳥居をくぐって桜並木の参道を歩き、三の鳥居をくぐって太鼓橋の脇を通って舞殿の前に来ました。

舞殿では結婚式が行われていました。 また、幾組もの七五三祝いの嬉そうな家族と出会いました。

・境内の大銀杏
013 舞殿を過ぎた後方の石段の左手に、
樹齢千年といわれる大銀杏があります。

 建保7年(1219)1月、源頼家の子公暁がこの銀杏の木に隠れて待ち伏せをし、実朝を殺害したと聞きました。

 大銀杏の紅葉はこれからです。
 見上げれば見上げるほど大きい銀杏です。

・石段の下から本殿を撮る   ・石段の上から舞殿を撮る
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本宮で参拝をすませたあと、本宮横で神輿を見学してきました。
ところが、本宮東側にある白旗神社の見学を見落としました。 

白旗神社は源頼家が父頼朝を祀るために建立したもので、三代将軍実朝も祀られている神社といいます。 

少年時代に好んで読んだ源平合戦、この八幡宮にきて平家の赤旗、源氏の白旗を懐かしく思い出しました。

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2008年12月12日

両津港~新潟港へ

12時35分、おおさど丸の船内で銅鑼(どら)が鳴り響き、見送りの人たちも下船しました。

12時40分、おおさど丸は静かにゆっくりと両津埠頭を離れました。

・両津港ターミナルビル     ・遠のいて行く両津港
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佐渡の表玄関両津港は、明治元年(1868)11月に新潟港と共に開港されたと聞いています。

佐渡島と本州を結ぶ航路は、
新潟~両津間、直江津~小木間、寺泊~赤泊間の3航路です。 

寺泊~赤泊間は一度だけ利用したことがありますが、メインはやはり新潟~両津間です。

これまでの51年余の間における帰省回数を調べたところ、38回を数えました。 その中で年に2度の帰省は6回ありました。

両親と義父が亡くなった時、観光で友達を連れて帰った時でした。 

  ふるさとの 山にむかいて いうことなし
       ふるさとの山は ありがたきかな   石川啄木

石川啄木の心境になって見ました。 20数年間を過ごした古里は、幾つになっても思い出の地です。

・新潟港ターミナルビル     ・信濃川の左岸風景
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2008年12月11日

両津埠頭

古里佐渡島を発ってから51年余が経過しました。 1年に1度帰省したとして51回ですが、そんなに帰ってはいません。   

当時、新潟 ~ 両津間の就航船は、ゆめじ丸(800トン)・おけさ丸(500トン)・こがね丸(600トン)でした。

昭和30年(1955)暮の帰省でした。 日本海が猛烈に荒れて欠航し新潟で3日間も足止めをさせられたことがあります。

そのとき旅費がなくなって、佐渡を出発するときは親が旅費を出してくれて本土へ渡ったことがあります。

  <カーフェリー「おおさど丸」(左)とおけさばし(右)>
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時代は大きく変わりました。
現在はカーフェリーおけさ丸(5,862トン)・おおさど丸(5,373トン)が就航しています。

新潟 ~ 両津間 63㌔の海上も2時間20分です。 しかも自分の車が運べるようになり、楽しい旅行ができるようになりました。

カーフェリーを下りて、最初にに目につくのが能面のついた歓迎塔です。 佐渡は能が盛んなところです。
 
島内には32の能舞台が残るといいます。 特に、かやぶき屋根が美しい大膳神社の能舞台が有名です。

カーフェリーからターミナルにへ進む途中で、美人のおけさ嬢が笑顔で出迎えてくれます。 また、新潟へ向う時は見送ってくれます。

美人のおけさ嬢に記念撮影をお願いしたところ、快く受けてくれました。 年寄りと一緒の画像では気の毒です。 トリミングしました。 

カーフェリー就航時には、船内放送で 「佐渡おけさ」 が流れます。

♪ ハアー 島の乙女の黒髪恋し 又も行きたや花の佐渡

♪ ハアー 佐渡へおいでよ夏冬なしに 山に黄金の花が咲く

懐かしい古里佐渡島、次に帰省するのはいつでしょうか。 happy01

 <歓迎の能面(左)・美人おけさ嬢(中)・おけさ人形(右)>
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2008年12月10日

両津湊町の社寺

両津欄干橋の見学を終えて両津埠頭に戻ろうとしたところ、石造りの明神鳥居が見えたので回って見ました。

鳥居には、「八幡若宮社」 の額が架かっていました。 鳥居をくぐると右手に北一輝・昤吉兄弟の 彰徳碑 がありました。 

・八幡若宮神社(左)      ・北兄弟の彰徳碑(右)
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兄北一輝(1883~1937)は、両津湊町の酒造業を営む北慶太郎の長男として生まれ、本名は輝次郎といいます。
2・26事件の思想的背景をつくったとの理由から、54歳の時に銃殺されたものです。

弟の北昤吉(1885~1961)は、衆議院議員当選8回、自由党の幹事長も務め占領下の政治や政党に大きく貢献したといいます。 また、政治評論家、教育者としても名のあった人です。

昭和27年(1952)10月、佐渡で初めて選挙権を得た第25回総選挙で、北昤吉氏に一票を投じた記憶があります。

・えんなむ堂
041 八幡若宮神社から
湊町5丁目通りに入ると、拾番組 「えんなむ堂」 の看板がかかる、お堂の前に来ました。 
 堂内を覗いて見ると、やや大きめの六地蔵と小さな見替わり地蔵がたくさん並んでいました。
ここ湊町5丁目も地蔵信仰の盛んな土地柄と思いました。

・日蓮宗 「妙法寺」
042 えんなむ堂横に日蓮宗妙法寺がありました。
 門前に、新潟県の文化財
洛中洛外風俗図屏風」 の案内が出ていました。 
「この屏風は、元和(1615~24)ころの作と推定される。」
「屏風には、都(京都市中内外)の風景や建築物、風俗などが詳細に描かれていて、当時の庶民の生活を知るうえでも重要な歴史資料となっている。」       両津市教育委員会 
と、記されていました。

保管庫前には 「庫内撮影禁止」 の張り紙が出ていましたが、歴史的資料となる風俗屏風を一度拝見してみたかったです。

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2008年12月 8日

両津の名所

佐渡民謡に、佐渡おけさ、小木おけさ、選鉱場おけさ、相川音頭に、両津甚句 があります。

哀調を帯びた独特の節回しと、面白いお囃子の両津甚句は、私の好きな佐渡民謡です。

♪ アーエ 松になりたや 御番所の松に (コラ サッサ)
   枯れて落ちても ヨンヤー 二葉連れ
               (ア リャント リャント リャント)

・天然記念物 「御番所の松」 こと 「村雨の松」 
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御番所があったことから 「御番所の松」 と呼ばれていたが、佐渡に来た尾崎紅葉が 「村雨の松」 と命名して今に伝わるといいます。

樹高20mに近いクロマツは大きく広がり、カメラに収まらないほどに見事なマツでした。

また、私の好きな両津甚句に、「両津欄干橋」 があります。

加茂湖を挟んで、旧夷町と湊町を結ぶ橋が 「りょつはし」 で、甚句に唄われる 「両津欄干橋」 です。

♪ アーエ 両津欄干橋 真中から折りょうと (コラ サッサ)
   船で通うても ヨンヤー やめりゃせぬ
               (ア リャント リャント リャント)

・「りょうつはし」(左) と ・「らんかん橋の由来」
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現在、夷町と湊町を結ぶ橋は並列して3本あります。 
加茂湖側から 「かもこはし」、「りょうつはし」、「両津大橋」 です。

♪ アーエ 行こうか湊町 もどろうか夷 (コラ サッサ)
   ここがしあんの ヨンヤー 両津橋 
               (ア リャント リャント リャント) 

また、「かもこはし」 は歩行者専用で、車が通れません。

一周約17,2kmという加茂湖は、塩水湖でカキの養殖で有名です。

・かもこはし(左) と ・両津大橋(右)
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2008年12月 6日

励風館

佐渡市沢根五十里(いかり)城ノ下の 「励風館」 を訪ねました。

励風館は、沢根五十里田中町の酒屋の主人矢島主計(かずえ)が、文化7年(1810)に創設したといいます。

田中町は私の生家のある所です。 ここにきて初めて知りました。

・励風館への上り口の門(左) ・茶室風の励風館(右)
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江戸の儒者亀田鵬斎の門人であった矢島主計は励風館を創設し、亀田鵬斎が滞在して講義したのが学校の始まりといいます。

励風館には貴重な文化財が残るといいます。 向学のため拝観してみたいのですが、管理状況が分かりません。

励風館と並んで、「青野季吉ペンの碑」 が建っています。 

・青野季吉ペンの碑
018 文芸評論家青野季吉(1890~1961))は、沢根下町の青野屋に生まれました。 
 日本文芸協会長、芸術院会員を務めた人物です。 「ペンの碑」 には、
  少年の日 わたしは
  この美しい入り江の岸辺に
  ぼんやり立っていた
  何を待つともなしに 
        昭和30年春 季吉

と刻まれた、銅板がはめ込まれています。 青野季吉はこよなく古里を愛していたようです。

励風館から一段上の台地に、初代本間琢斎の碑がありました。

・初代本間琢斎之碑
024 碑文案内によると、 
 「翁は、文化6年(1809)に柏崎の鋳金家原氏家に生まれた。」
 「業を父に学び弘化4年(1847)幕府の命により、沢根鶴子において大砲数門を蝋造した。」
 「後に沢根五十里の本間家に入り、蝋型による工芸品を多く蝋造した。」 と記されています。 

初代琢斎翁は、佐渡における蝋型鋳金技術の先駆者でした。

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2008年12月 4日

佐渡むじな

河原田の寺町通りを発って家路に着きました。 途中で佐渡の土産品を探そうと 「シルバービレッチ佐渡」 に寄りました。

・レストラン前の石碑 「鬼太鼓」
015 ところが、土産店はなくなり、レストランのみが営業していました。
 以前のシルバービレッチ佐渡は、佐渡の特産品が並び、店頭では佐渡の郷土芸能 「文弥人形芝居」 が上演されていました。 


文弥人形といえば、子どものころ薬師堂などの夜祭りで、一番前に座って 「牛若丸と弁慶」 を観て興奮した思い出があります。

国道350号を相川方面に向かって自転車をこいで窪田に来ました。

・狢が出ると噂のあった竹藪
088 日朝寺付近にきて、
 子どものころ、狢(むじな)の怖い話を聞いて通れなかった竹藪の前に来ました。

 今のように、車の往来が多くなく、人の行き来も少なかった貧しい少年時代です。

 「村のはずれを通っていたら、あかごの泣き声がした。」
 「○○さんが、祝い事の帰りに田んぼの肥桶風呂を浴びていた。」
 「××さんが、親戚のお祝いの帰りに、御馳走の油あげを取られた。」 などなどです。

子ども心に怖い話を聞いた後は、親戚の家へ行くにも遠回りをして、海岸の砂浜を歩いて通った思い出があります。

その竹藪も時代とともに明るくなり、地蔵堂とその脇に首から上のない石地蔵2体が並んでいました。

佐渡には、タヌキはいますがキツネはいません。 佐渡のむじなは佐渡金山の鎔鉱鞴革の材料にするため、石見の国から連れてきたのが始まりと聞いています。

また、むじなといえば相川の 「二つ岩団三郎」、外海府の 「関の寒戸(さぶと)」、「徳和の禅達」 が有名です。 
むじなは岩穴に棲むといわれ、岩穴の祠に祀られています。

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2008年12月 2日

窪田~河原田へ(2)

昭和29年7月、旧沢根町と河原田町、旧二宮村と八幡村の4ケ町村が合併して佐和田町ができました。

現在は、佐渡10ケ市町村が合併して佐渡市となっています。

昭和20年代後半における、私の青少年時代の商業・文化の中心地は旧河原田町でした。 

・河原田諏訪町「諏訪神社」(左) ・普照山専念寺「山門」(右)
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佐渡交通の中心地、河原田諏訪町の新潟交通バス会社、映画館 「入江座」、本町の商店街 などが思い出の地です。

懐かしい入江座もすでになく、郊外に大型店が進出して本町商店街も活気が乏しいようです。 時代は移るの感があります。

・諏訪町「諏訪神社」
町商工会の隣にある 「諏訪大明神」 です。 4月27日の河原田祭りで賑わうところです。
参拝に寄った時は、氏子の人たちが落ち葉の清掃をしていました。 

・真宗大谷派 普照山専念寺
山門前の 「掲示板」 に、次のような教えが出ていました。
「願いをかけることは美しい
  でもわたしが願われていることに気づくことは もっと美しい」

ここは寺町通りです。 それぞれ宗派の違う寺院が並んでいました。

・法華山妙經寺「二王門」(左) ・松雲山本田寺「山門」(右)
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・日蓮宗法華山妙經寺
朱塗りの大きな仁王門は威厳があります。 長い参道を進むと楼門が高くそびえています。 
楼門をくぐると、参道の左手に宝物殿、祖師堂が並び正面に大きな本堂があります。

・曹洞宗松雲山本田寺
ご本尊は、釈迦牟尼仏です。 佐渡八十八ケ所第八番札所でした。
山門前に大きな地蔵菩薩座像が安置されています。 
山門をくぐると左手に、大きな東福城主墓がありました。 東福城主とは、初めて聞く城主名です。

若いころは気にも留めていなかった事が、この寺町通りに来て興味がわいてきました。 happy01

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2008年12月 1日

窪田~河原田へ

朝の釣りから帰って時間があります。 自転車を借りて思い出の地 「窪田」 を 回ってきました。

国道350号を河原田方面に向って、自転車で数百mほど走ると左側に真宗大谷派の 「西光寺」 の山門が見えました。

・無碍光山西光寺(左)     ・鐘澄山日朝寺(右)
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掲示板に、
ただ一言 『すみません』 これでお互い気がなごむ」 との教えが張り出されています。

本堂前で参拝を済ませて境内を見回しますと、ここは無人のお寺さんのようです。 境内には名のある鐘楼がそびえています。

西光寺からさらに数百m進むと、日蓮宗 「日朝寺」 がありました。 新しく建て直したお寺さんです。 昔の面影が浮かんできません。

自転車でさらに東へ数百m走って、「窪田観音堂」 に着きました。

窪田観音堂の由来 によれば、
「今から約800年前(1141)、白田家の先祖おさる姫が自身の守り本尊として、京都から戦いに破れ都落ちして、佐渡のこの地に流れてきたものと、先祖代々言い伝えられて来ました。」

「白田家は今日も続いていますが、江戸時代の後期 窪田村の守り本尊として、村人の信仰を集めるに至り、明治時代に入って村人の要望もあり、窪田村へ差し上げ窪田観音堂と名付けたものであります。」 と、記されています。

観音堂のことは「窪田観音堂の由来」を読んで初めて知りました。
ご本尊は十一面観世音菩薩です。 
今日は縁日でしょうか、観音堂で念仏講があったようです。 

観音堂の前に、「四国八十八箇所本尊奉安所」、お堂の左手には 「地蔵堂」 があり、それぞれ石仏が並んでいました。 

ここ窪田は、信仰心の篤い地区のようです。     合掌

・十一面観音堂(左)   ・四国八十八箇所本尊奉安所(右)
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