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2009年5月31日

畑野・長谷寺(続)

畑野の長谷寺(ちょうこくじ)は、前浜海岸の松ケ崎から小佐渡の小倉峠を越えた畑野の長谷にあります。

鎌倉時代、佐渡配流となった日蓮上人や世阿弥も、小倉峠を越えて長谷の観音堂に寄られたともいわれています。

観音堂の左手横に祠があり、中に小さな石地蔵がいっぱい並んでいます。 長谷の大地蔵に願をかけるとき、身代わり地蔵として奉納されたものといいます。

  <観音堂(大悲殿)>       <身代わり地蔵>
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一本の大きな杉の根元に、高さ245㎝、像高185㎝という背に舟形光背をつけた長谷の大地蔵が立っています。

右手に錫杖、左手に宝珠を持った大地蔵は、延命地蔵として多くの人の信仰を集めているといいます。

案内によれば、
「昭和54年11月、平山郁夫先生が “佐渡の石仏スケッチ旅行” に掲載した大地蔵である。」 とも記されていました。

その雑誌は私の手元にありました。 雑誌には “真野・椿尾の石仏” も載っていました。

大地蔵から一段上がった所に、佐渡奉行を務めた竹村九郎右衛門の苔むした「五輪塔」がありました。

ご本尊の開帳を強要して突然目が見えなくなった 奉行は、仏罪を悔い自分の傲慢を謝罪したといわれています。 

山の奥深い高台に 「五智堂」 が建っています。 大日如来を中心とした五智如来さまを参拝して長谷寺(ちょうこくじ)を後にしました。

<長谷の大地蔵>   <五輪塔>     <五智堂>
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2009年5月30日

畑野・長谷寺

畑野に来たら是非寄ってみたいと思っていたのが、長谷の長谷寺(ちょうこくじ)です。

畑野の長谷寺は、大和(奈良県)の初瀬にある真言宗豊山派本山、長谷寺を模して造られたといわれています。

大同2年(807)、弘法大師が開基したと伝えられる、閑静な山間の古刹です。

我が家の宗旨も、畑野の長谷寺と同じ真言宗 豊山派です。 何故か親しみを感じさせてくれる寺院です。

     <仁王門>        <仁王像(吽形と阿形)>
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石段の上に仁王門が建ち、一対の仁王像が安置されています。

格子の隙間からカメラを向けて仁王像を撮りましたが、フラッシュが格子に反射して上手く撮れませんでした。

石段の両側には梅や桜、ボタンなどが植えられていて、ここ畑野の長谷寺も 「ボタン寺」 と呼ばれています。 

石段の右手には、観音堂へ上る 回廊 があり、鐘楼 があります。

   <観音堂へ続く石段>     <回廊にある鐘楼>
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石段を上りきると観音堂があります。 
観音堂には秘仏の十一面観音立像(国文化財)三体と、他に一体の十一面観音立像(県文化財)が安置されています。

十一面観音立像は、いずれも高さが約1m、カヤの木の一本造りと聞いています。 

秘仏は、三十三年ごとの御開帳以外は拝観できないといいます。

頭に十一の顔を持った十一面観世音菩薩さま、拝観できるものなら拝観したいところです。

十一面観音さまのご真言は、
  「おんまか きゃろにきゃ そわか」  合掌     つづく

   <石段の上の観音堂>    <参道に咲くボタン>
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2009年5月29日

畑野・慶宮寺

本光寺から1,5㎞ほど走った右手に、「慶宮寺」 への道案内が出ていたので回ってみました。

赤い大きな屋根の寺院は、真言宗豊山派 神護山 慶宮寺でした。

「大同2年(807)、快空法印の開祖といわれ、順徳院第一皇女慶子(よしこ)宮との関係で慶宮寺と称する。」 といいます。
 
ご本尊は大日如来で、佐渡八十八ヶ所霊場 第五十一番札所です。

・真言宗 神護山 慶宮寺 「山門」 と 「本堂」
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慶宮寺の境内には、新潟県有形文化財の 「八祖堂」 があります。

八祖堂へは、山門をくぐって苔むした参道を200mほど進むと、道路を挟んで 「八祖堂」 の標柱が立つ石段の前に来ます。

数にして50段ほどの石段を上った丘の上に八祖堂がありました。

・八祖堂へ上る石段       ・八祖堂(祖師堂)「案内」
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祖師堂の内陣には八角の回転する厨子があり、「八祖像が祀られている。」 といいます。

勉強不足です。 「八祖」 は知りませんでした。

帰宅後 ネットで調べたところ、真言宗の八祖とは、
竜猛・竜智・金剛智・不空・善無毘(インド)、慧果(中国)、弘法(日本)大日如来を加えたものといいます。

内陣の八角回転厨子と八祖像を拝観してみたかったです。

また、八祖堂はここ慶宮寺の境内と、小木の蓮華峰寺にあります。 前者は真言宗豊山派で、後者は真言宗智山派です。

知らなかったことが、今回の旅でまた一つ勉強になりました。

・丘の上の八祖堂(祖師堂)    ・八祖堂正面扉の文様
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2009年5月28日

畑野・本光寺

県道65号を車で走って畑野に入ると直ぐに、県道の左手に寺院が見えたので寄ってみました。

鎌倉時代、佐渡配流となられた日蓮上人ゆかりの寺院でした。

・日蓮宗 日朗山 本光寺 「山門」 と 「寺院案内」        
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本堂の扉に、「中をご自由にご覧下さい」 との張り紙があったので、靴を脱いで中に入り 堂内を拝観させてもらいました。

「これは信者へ配った残りですが、お一つどうぞ」 と、お寺の奥さまが袋に入った 「かきもち」 を下さいました。

豆の入ったおいしい 「かきもち」 です。 ありがたく頂戴したあと境内を見学させてもらいました。

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境内には、日蓮上人の腰掛石 「赦免石」 や 「袈裟掛けの松」 がありました。 ところが 「袈裟掛けの松」 は見落としてきました。

今でもその松は残っているのでしょうか? 確認してこなかったのが残念です。 wobbly

・日蓮上人腰掛石 「赦免石」 と 「赦免石の由来」
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2009年5月27日

真野・世尊寺&太運寺

夕方のカーフェリーで来島する長男を迎えに両津港へ行く途中、真野の史跡巡りをしようと県道65号に回りました。

真野の竹田に、県内で唯一の五重塔が建つ妙宣寺があります。

その手前に、まだ訪ねたことのない世尊寺があり寄ってみました。

・日蓮宗 法久山 世尊寺
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世尊寺は佐渡配流となった日蓮上人の高弟日興上人が開山した、佐渡宗門最初の道場といいます。

国府入道の寺ともいわれる世尊寺は、瀟洒な山門や茅葺の屋根の長屋門、庭園が美しい寺院としても人気があるといいます。

   <世尊寺の山門>     <茅葺屋根の長屋門と池>
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また世尊寺は佐渡七福神巡りの一寺で、「渋手大黒天」 が祀られているお寺です。

日蓮上人筆とされる「大黒天像一軸」は世尊寺の寺宝といいます。

・曹洞宗 寿宝山 太運寺

 <寺院入り口に並ぶ石塔>   <茅葺屋根の山門>
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寺院案内によれば、
「曹洞宗の寺院、高徳元年(1452)本間信濃守が雷澤山法久寺として貝塚村に建立したものと伝えられる。」

「永正3年(1506)雑太城主本間有泰(寺伝では、高泰・法号太運寿宝庵)が菩提寺として城の脇の現在地に移した。」

「江戸時代、佐渡国曹洞宗五ケ寺の一つで、御朱印地であった雑太城主累代の墓も境内にある。」 と、記されていました。

寺院案内を先に読んで参詣すれば、雑太城主累代の墓を見落とすことがなかったのにと悔やんでいます。

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2009年5月26日

新潟~佐渡島へ

去る19日午前10時過ぎ自宅を発って、高崎ICから関越自動車道、北陸自動車道を走って新潟港佐渡汽船ターミナルに着きました。

新潟港16時発のカーフェリーは、乗客定員1,520人、大型バスや乗用車を乗せる12,419 t の おけさ丸 です。

<画像下左> 大型客船カーフェリー「おけさ丸」の甲板(5F)
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<画像上右> 全長135mの「おけさ丸」の甲板(5F)で撮る

<画像下左> 佐渡両津港に向かうジェットフォイル(手前)
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<画像上右> おけさ丸の乗客からの餌を求めて飛ぶカモメ 

<画像下> どこまでも餌に群がって追いかけてくるカモメ
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18時30分、懐かしい佐渡島の両津埠頭に接岸しました。 つづく

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2009年5月19日

秩父霊場・32番 法性寺(完)

奥の院へ30mという道案内に従って左折し、一つ目の鎖場に着きました。 これから岩登りです。

しっかりと鎖に掴まって大岩を登り、一息入れて手摺の向こうを見たところ断崖絶壁です。

今ここにいるのは私一人です。 足を滑らせたらと思った瞬間、怖い気持ちになり、ちょっと不安になりました。

・最後の鎖場で奥の院に祀られている大日如来を撮る
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上を見ると大きな岩を背にして大日如来が見えます。
鎖に掴まりながら下を見ないように、慎重に足を運んで頂上に上り切りました。

頂上は人ひとりやっと座れる広さです。 左手でしっかりと鎖の根元を掴みながら、大日如来と正面から対面しました。

大日如来は、私の守りご本尊です。 
ご真言は、「おん ばざら だとばん」 です。  合掌

心が少し落ち着いてきました。 鎖の根元を掴んだ左手はそのままで、右片手で大日如来像をカメラに収めました。 

片手で撮った画像は少し右に傾いています。 しかし、奥の院の頂上で撮った思い出の一枚です。

・大日如来が見守る小鹿野町を撮る  ・守り本尊「大日如来」
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※お知らせ! ship
ブログを1W程お休みします。 また、 次回から宜しくお願いします。

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2009年5月18日

秩父霊場・32番 法性寺(4)

観音堂を下って大きな岩屋をくぐり、岩船観音から奥の院を目指して歩きました。

細い山道を喘ぎながら上っていくと、右手に最初の鎖場「龍虎岩」が見えてきました。

・第一の鎖場「龍虎岩」       ・岩屋の胎内観音
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長さ5mほどの鎖に掴まって岩場を登ると、岩屋の中には小さな祠が一つと十数体の仏像が並んでいました。

よく観ると左端に不動明王が建っています。 続いて補修された仏像もありますが、智拳印を結ぶ仏像や数からみて十三仏ではないかと思って観てきました。

鎖につかまりながら下った右手に、大日如来岩船観音への案内板が立っていました。

・仏像へのコース案内      ・右側が断崖絶壁の「大岩」
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大岩に沿って少し下ると、下界を見下ろすように岩船観音が建っていました。

登ってきた証にと観音様をカメラに収めた後、観音様の台座に掴まりながら大岩に立ってみました。 下を見た瞬間、身震いがしました。
大岩の右側は断崖絶壁でした。 bearing wobbly 

船の形の大岩を下りて、次の 奥の院 へと向かいました。 つづく

・通称「お船観音」      ・船の形といわれる 「大岩」
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2009年5月17日

秩父霊場・32番 法性寺(3)

うっそうとした木立の中を歩いて行くと、「奥の院・観音堂」 の道案内が出ていました。

観音堂に向かって右折し、仏塔などが並ぶ細い坂道を数十mほど歩くと、三間四面、回廊のある観音堂に着きました。

・奥の院と観音堂の道案内     ・方形屋根の観音堂
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堂内はスリッパに履き替えて、回廊を時計周り見て回りました。

本堂の裏側には、断崖を背に石塔や石仏がへばりつくように並んでいます。
その横の小さなお堂には数体のお地蔵様が祀られています。

・断崖に並ぶ石塔と石仏       ・観音堂裏の地蔵堂
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堂内には「豊島権の守の娘」の絵額が奉納されていました。

絵額は観音堂縁起にもある、「お船観音」を描いた内容のようです。

観音堂を前立の方に回ると、冠の上に笠をかぶって櫂で舟を漕いでいる珍しい観音様の掲額がありました。 

観世音が舟に乗って出現されたという、この寺の縁起によるお姿でしょうか。   「南無観世音菩薩」 合掌          つづく  

・絵額 「豊島権の守の娘」 ・笠をかぶって櫂を漕ぐ観音様
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2009年5月16日

秩父霊場・32番 法性寺(2)

26年振りに訪ねた法性寺です。 当時の思い出は残っていません。

金剛力士像が立つ山門(鐘楼門)には、「般若山」と書かれた大額がかかげられていました。 ここ般若山の麓に建つ法性寺は、山号が「般若山」です。

石段を上りきると今度は、本堂に「般若の面」がかかっていました。

・般若面がかかる本堂       ・本堂から一段上の境内
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山寺といわれるだけあって境内は狭く、カメラに本堂が収まりませんでした。

本堂を通り過ぎた一段上の境内には、石塔や石碑、仏像などが並んでいます。
よく見ると仏像は、舟の形をした石の上に座っています。 ここには 「船観音」 の縁起があります。

・昭和58年5月5日のご朱印
137 秩父観音霊場
 第三十二番 般若山 法性寺
 ご本尊= 聖観音菩薩
 ご詠歌= 願わくば
        般若の舟に 法を得て
         いかなる罪も 浮ぶとぞ聞く 
 仏像などが並ぶ境内から一段上ると、観音堂の下に建つ毘沙門堂の前に来ました。

納経所と並ぶ毘沙門堂でお参りを済ませて、坂の上の船観音へと向かいました。                  つづく

・納札所と並ぶ毘沙門堂    ・観音堂へ上る手前の石塔群
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2009年5月15日

秩父霊場・32番 法性寺

秩父霊場31番札所から32番、33番、34番の4ヶ寺は、小鹿野町と吉田町にまたがった広い範囲内にあります。

道に迷って通り過ぎた 第32番札所 法性寺 は、小鹿野町を走る国道299号を右折して津谷木橋を渡った山深い所にありました。

・法性寺の山門(鐘楼門)       ・舟形一石六地蔵尊
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山門(鐘楼門)をくぐった直ぐ前に 舟形一石六地蔵 がありました。
大分年代が経っているいるのでしょうか、お顔が欠けた地蔵尊も見えます。 珍しい舟形石碑だったのでカメラに収めてきました。

山懐に建つ法性寺の山門(鐘楼門)には、一対の金剛力士像が安置されています。

金剛力士像は門に向って左側に、口を閉じた那羅延金剛(吁形)、右側に口を開いた密迹金剛(呵形) が、大きく眼を見開いて建っていました。

その山門をくぐると直ぐに、数十段の石段が続きます。

第31番札所の観音院で、山を下りるときに一緒になった巡礼者が、「32番札所の法性寺は、奥の院へ行くまでに鎖場がありますよ。」
と教えてくれました。

観音堂は石段の上にあります。 観音堂から、さらに上の奥の院を目指して石段を上りました。               つづく

・那羅延金剛(吽形) ・密迹金剛(呵形) ・石段脇の地蔵尊
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2009年5月14日

秩父霊場・31番 観音院(完)

観音山と東奥の院の分岐点から、数十m歩いた所に見晴らし台がありました。

見晴らし台には観音堂大宝筐印塔が建ち、山の向こうには西奥の院の休憩所 「あづまや」や石仏が並ぶ岩屋が見えました。

観音堂から一段下ると狭い広場には、香塚(芭蕉の句碑)仏像が並んでいました。

芭蕉句碑には 次の句が刻まれていました。

   清く聞かん 耳に呑たいて 子規(ほととぎす)  芭蕉

・東奥の院の「観音堂」        ・香塚(芭蕉の句碑)
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先ほどの交差点に戻ってから、左に回れば西奥の院へ行けるのではないかと思って山道を歩き始めました。 
しかし、行けども行けども西奥の院は行けそうにありません。

山岳縦走コースの案内を見て、西奥の院へは行けないことに気づきました。 そこで観音山へ行ってみようと考えてコース案内に従って観音山を目指して登りました。

山深い観音山です。 ちょっとやそっとで行けそうにありません。
途中の仁王尊細工場跡(見るものなし)から引き返しました。

・山岳縦走コース案内         ・仁王尊細工場跡
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馬のひずめ跡を見てみようと、先ほどの交差点を左折して仏像が並ぶ岩屋に向かいました。

岩屋の中には39体の仏像が並んでいるといいます。
その岩屋の前に「畠山重忠駒繋ぎ場」があり、馬のひずめ跡があるといいます。
 
よく観察しましたが、ひずめ跡の確認ができずに下山しました。

駐車場では家内を1時間以上も待たせたのです。 お小言を頂戴して次の32番札所の法性寺に向かいました。  shock

・畠山重忠駒繋ぎ場          ・洞窟内の仏像群
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2009年5月13日

秩父霊場・31番 観音院(3)

山岳霊場といわれる観音院の参内には、約250体もの仏像が散在するといいます。

聖浄の滝左手の岩屋には、仏像が並んでいます。 
また、左手の大岩には弘法大師像や弘法大師の爪彫りといわれる千体仏が見えます。

・岩屋の中の仏像           ・岩屋の弘法大師像
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西奥の院には、多くの磨崖仏や胎内くぐりなどの史跡があります。 しかし、危険のため入山禁止となっていました。 残念です!

本堂の右手にある慈母観音の前を通り、納経所の脇を通り抜けて東奥の院へ向かいました。

納経所前に、新生代第3紀(2千万年前)の地層がありました。

・慈母観音像              ・2千万年前の地層
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2千万年前の地層をカメラに収めて、東奥の院への坂道を登切ると、東奥の院と観音山への分岐点に来ました。 
ここには数体の地蔵尊が並んでいました。

また、ここで後方を振り返ると、聖浄の滝の上の岩屋に安置されている仏像群を見ることができました。          つづく  

・分岐点の地蔵尊           ・滝の上の仏像群 
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2009年5月12日

秩父霊場・31番 観音院(2)

石段を登り始めた直ぐ前に、杉木立の苔むす岩の両側には無数の句碑が並んでいます。

    百仏に 百の声あり 木々芽吹く   宗平

観音院の石段の思い出として残る一句をメモってきました。 
句碑といえば、神川町の金鑚神社の裏山、鏡岩へ登る坂道の句碑が思い出されます。

・石段の両側に並ぶ句碑         ・観音堂
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296段の石段は、お経を唱えながら一段づつ登ると厄除けのご利益があるといいます。

おん かかかびさんまぁ えいそわか」、「おんころころ せんだり まとうぎそわか」、
子どものころ、両親が唱えていたご真言を思い出して口ずさみながら石段を登りきりました。
(帰宅後に調べたところ、地蔵菩薩と薬師如来のご真言でした。)

観音堂は、三方が岸壁に囲まれた小広場の中に建っていました。 

・昭和58年5月5日の御朱印
138_2 秩父観音霊場 第三十一番
 鷲窟山 観音院
 (じょうくつざん かんのんいん)
 ご本尊= 聖観音菩薩
 ご詠歌= みやま路を
         かきわけ尋ね 行きみれば
          鷲の岩屋に ひびく滝つ瀬


本堂の横に家内安全、健康長寿にご利益があるという大宝篋印塔が建っていました。

その奥には、落差約60mという 聖浄の滝 がありました。 しかし、訪れた時は水がなく滝は枯れていました。

滝の横には、大岸壁を背にして不動明王が建っています。 つづく

・大宝篋印塔      ・聖浄の滝      ・不動明王像
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2009年5月11日

秩父霊場・31番 観音院

水子地蔵寺前を通り過ぎ、小さなトンネルをくぐって川沿いを600mほど行くと、右手の山麓に仁王門が見えてきました。

駐車場前の道路を渡ると小さな橋があります。 その橋を渡ると直ぐの所に仁王門があります。
門の中には、石造りの一対の大きな仁王像が立っています。

荒削りの2体の仁王像は、台座から約4m、秩父札所随一の大きさを誇るといいいます。

仁王門横の 「案内板」 によれば、石造りの仁王像は明治元年(1868)長野の石工 藤森吉弥一寿の作と記されていました。

・身の丈1丈3尺(3,91m)という仁王像を安置する二王門
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大きく見開いた目、荒削りの胸元、丸く大きく突き出たお腹、丸彫り石造りの仁王像は威厳がありす。
見れば見るほど力強さを感じる仁王像です。

仁王門をくぐると直ぐ前に、大きな仁王の手形がありました。 何でも願い事を書いて奉納すると、その願いが叶えられると聞きました。

念ずれば花ひらく」 の手形前をスタートに、
総数296段あるという 「やくよけかいだん」 を一段一段、ゆっくりと登り始めました。               つづく
・仁王像(吽形)    ・仁王像(阿形)    ・大きな手形
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2009年5月10日

水子地蔵寺

第三十二番の法性寺へ行く予定が、左折する道を間違えたので先に第三十一番の観音院へ向かいました。

観音院へ行く途中に、水子地蔵で知られる紫雲山地蔵寺があります。 鯉のぼりが揚がる地蔵寺をお参りして行こうと駐車場に入りました。

・1万数千体の水子地蔵と200匹の鯉のぼりが泳ぐ地蔵寺
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地蔵寺は水子供養の必要性を感じた橋本徹馬氏(1890~1990)が、昭和46年(1971)に創建した寺院といいます。

本堂前にあった資料や月刊誌 『紫雲』 を貰って帰り、帰宅後に読ませて貰いました。

また、ネット上でも勉強させてもらい水子供養の必要性を感じ取っています。

当寺院は、小鹿野観光八景にも選ばれており四季折々に花が咲き、また、雛祭りや端午の節句、七夕祭りは大変賑わうといいます。

一度見てみたいのは、石仏のすべてにローソクが立てられ、幻想的な夜景が見られるというお盆のイベントです。

・水子を見守る地蔵尊        ・高台に並ぶ水子地蔵
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2009年5月 9日

小鹿野の「ようばけ」

マイカーのエステマにはカーナビが付いていません。 知らない土地ではたびたび道に迷うことがあります。

おばけはどこですか?」 、駐車場に入って坂を上ってきた家族に聞いたところ、「おばけでなく、ようばけでしょうか?」 と、聞き返されました。

ようばけとは小鹿野町指定の天然記念物、赤平川右岸ののことでした。 車の運転をしながら見つけたのは、おばけでなくようばけだったのです。

・小鹿野町指定の天然記念物 「ようばけ」
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坂の途中にあった案内版によれば、

「豪倉地内を流れる赤平川の右岸に、白い岩肌を見せる大きな崖があります。 この崖を “ようばけ” と呼んでいる。」

「バケは 崖のことで、陽(日光)のあたる様子から名付けられたと伝えられている。」

「高さ100m、幅約400mにわたる地層の大露頭部で、周囲の自然と調和し見事な景観をつくっている。」 旨のことが記されていました。

崖下を流れる赤平川の河原には、大勢の家族ずれが来てレジャーを楽しんでいました。

車を止めた駐車場は、小鹿野で発掘された大型哺乳類パレオパラドキシアの化石や、海トカゲ竜などを展示している おがの化石館 の駐車場でした。

続いて、三十二番の法性寺に向って車を走らせましたが、ここでも道に迷いました。

途中で大きな山門が見えたので寄って見たところ、曹洞宗のお寺で長慶山 鳳林寺といいます。

ご本尊は釈迦牟尼仏で、秩父七福神めぐりの大悲毘沙門天を祀る寺院でした。 

・鳳林寺の本堂            ・境内で観た見事な松
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道に迷ったことによりようばけから鳳林寺と、今日の予定になかった二つの新しい発見がありました。
気分を良くしながら 第三十二番札所 法性寺へと向かいました。

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2009年5月 8日

秩父霊場・33番 菊水寺

三十四番札所の水潜寺から逆回りに、第三十三番札所 菊水寺へ向かいました。

駐車場から道路を渡って参道を進むと、正面に「正大悲殿」と書いた大きな額を掲げる観音堂前に来ました。

境内にあった寺院案内によると、高さ88cmのご本尊 聖観音立像は、県指定の有形文化財といいます。

また境内には、市指定史跡の 「長福寺の芭蕉句碑」があり、堂内には、市の有形文化財 「菊水寺の子返しの図・孝行和讃の図」 があるといいます。

・入り母屋造りの観音堂       ・本堂前の芭蕉句碑
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入り母屋造りの観音堂は、中が土間でそのまま中に入れます。 
何でもご本尊を近くで拝むようになっていると聞きました。

薄暗い堂内でお参りを済ませたあと、外に出て芭蕉の句碑を見ましたが句が見えません。 後日、ネットで調べたところ、
       寒菊や こぬかのかかる 臼の端   でした。

・昭和58年5月5日の御朱印
136 秩父観音霊場
 第三十三番 延命山 菊水寺
 ご本尊= 聖観音菩薩
 ご詠歌= 春や夏
         冬もさかりの 菊水寺
           秋の眺めに おくる年月

 観音堂の左手奥に、交通安全・家内安全を祈願する稲荷社があり、願掛の白狐が並んでいました。

参詣が終わった後に気付いたのですが、市の指定史跡 「芭蕉の句碑」 が 「長福寺」 となっていました。

寺院を出た参道前の標柱は、「大櫻山長福寺」 となっています。
菊水寺と長福寺の関係が分からないままに寺院を発ちました。

・白狐が並ぶ稲荷社       ・八重桜並木の菊水寺参道
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2009年5月 7日

秩父札所・34番 水潜寺(続)

本堂(観音堂)の横に 水くぐりの岩屋 があります。
水潜寺という寺名の起こりも、水くぐり岩屋から湧出する長命水が起源といいます。

水くぐりの岩屋に行ってみたかったのですが、「入山禁止」 の立札があって中に入れません。

・水くぐりの岩屋を撮る      ・岩屋から流れてくる長命水
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讃佛堂(納経所)前の一段下に六地蔵尊が並んでいます。
地蔵尊の呼び名は宗旨によって異なるのでしょうか? 

私が知る呼び名と少し違ったいたのでメモを取ってきました。
<画像右から>
  ・延命地蔵尊(地獄道)    ・宝性地蔵尊(餓鬼道)
  ・法性地蔵尊(畜生道)    ・持地地蔵尊(修羅道)
  ・陀羅尼地蔵尊(人間道)   ・法印地蔵尊(天上道)

・六道能化の地蔵尊         ・慈悲の菩薩「七観音」
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百観音結願堂の裏手に、七観音がまつられていました。
<画像右から> 
 ・千手観音 ・聖観音 ・馬頭観音 ・十一面観音 ・准胝観音
 ・不空羂索観音     ・如意輪観音

・昭和58年5月5日の御朱印
20 秩父観音霊場 
 第三十四番 日沢山 水潜寺
 ご本尊= 千手観世音菩薩
 ご詠歌= 萬代(よろずよ)の
         願いをここに 納めおく
          苔の下より いづる水かな

 ご詠歌にも詠われているように、苔むす山深い緑の中の寺院です。
 26年前に訪ねた時は境内に白いサギゴケが咲いていていました。 

満願記念にと一株いただいて帰ったサギゴケは、毎年我が家の庭に白い小さな花を咲かせてくれます。 (画像下の右)

いまの境内は玉砂利が敷かれていて、境内の周りにはオダマキシャガがひと際きれいに咲いていました。

・オダマキ       ・シャガ     ・我が家に咲くサギゴケ
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2009年5月 6日

秩父札所・34番 水潜寺

新緑に魅せられて秩父札所めぐりに出かけました。 群馬から最も近い第34番札所の水潜寺から逆回りにスタートしました。

水潜寺は、今から26年前の昭和58年(1983)5月5日に一度来ています。 驚いたことに寺院や境内の様子が当時とすっつかり変わっていました。 

寺院入り口の左手の土手に、三十三観音石像が並んでいます。
よく見ると聞いたことのない観音様の名前があります。 後学のため三十三観音の名前(入り口から)を書き取ってきました。

・水潜寺の案内板            
006 ・灑木(しゃすい)観音  
 ・持蓮(じれん)観音
 ・不二(ふに)観音     
 ・一如(いちにょ)観音
 ・合掌(がっしょう)観音
 ・馬郎婦(ばろうふ)観音
 ・普悲(ふひ)観音   
・六時(ろくじ)観音 ・蛤蜊(こうり)観音 ・多羅尊(たらそん)観音
・三十三観音石像
007 ・瑠璃(るり)観音  
 ・葉衣(ようえ)観音 
 ・阿摩提(あまだい)観音
 ・阿耨(あのく)観音
 ・能静(のうじょう)観音
 ・岩戸(いわど)観音 
 ・衆宝(しゅうほう)観音
・延命(えんめい)観音 ・威徳(いとく)観音 ・青頸(しょうきょう)観音
・讃佛堂(納経所)
017 ・一葉(いちよう)観音
 ・水月(すいげつ)観音
 ・徳王(とくおう)観音 
 ・魚濫(ぎょらん)観音
 ・施薬(せやく)観音
 ・瀧見(たきみ)観音
 ・蓮臥(れんが)観音
・白衣(びゃくえ)観音 ・遊戯(ゆげ)観音 ・圓光(えんこう)観音
・持経(じきょう)観音 ・龍頭(りゅうず)観音 ・楊柳(ようりゅう)観音

観音様の名前で、難しくて読めない漢字や手持ちの辞書にない漢字がありました。
しかし、パソコンは何でも答えてくれます。 何とかまとまりました。

名前の由来についてはよく分かりませんが、観音様は三十三の姿に化身して衆生を救うと聞いています。 その名前でしょうか?

・本堂(観音堂)                  
014 坂道を上りきると、
 百観音詰願堂讃佛堂(納経所)、本堂(観音堂)が並んで建っています。
 讃佛堂(納経所)内は撮影禁止でした。
 堂内の左手には、なで仏こと オビンズル様が座っていました。

・金子兜太翁句碑
009 諸佛堂の前に、
 皆野町が生んだ俳人(現代俳句協会の名誉会長)金子兜太氏の句碑が建っていました。
 曼珠沙華
    どれも腹出し
        秩父の子  兜太

「佐渡島の郷土芸能 “相川音頭” は、五七五調である。」 旨のことを何かに書いていた、金子兜太氏の一文を読んだことがあります。

また、同氏の著書 『俳句専念』 や2009年2月25日から読売新聞に連載された 『時代の証言者』 を読んで、「俳句の未来は明るい。」 と結んでいたことが記憶に新しいところです。     つづく

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2009年5月 5日

間瀬湖と礎石群

骨波田の藤で有名な長泉寺から百体観音(さざえ堂)ヘ行く途中で道に迷い、川をせき止めて造った人造湖 間瀬湖 に着きました。

・間瀬川をせき止めて造った人造湖 「間瀬湖の堰堤」
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堰堤の横にあった 「案内板」 によれば、

「昭和12年(1937)、利根川水系の間瀬川をせき止めて造られた、日本で最初のコンクリートダムの灌漑用人造湖である。」

「周囲2km、水深は最も深いところで20mあり、緑と清流に恵まれた自然の中にある。」

「湖畔には約300本の桜が植えられ、4月上旬ころの堰堤周辺は桜と周囲の山々の景色が見事に調和され、『新日本百景』、『ふるさとさいたま百選』、『利根川百景』 に数えられている。」

「へら鮒釣りのメッカとしても知られている。」 と記されていました。

・堰堤を渡った向こうから撮る   ・穏やかな間瀬湖の絶景
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堰堤を歩いて、堰堤の真ん中辺りで立ち止まって上流を眺めました。 
すばらしい景色に見とれていたら、静かな湖面に浮かぶボートの釣り人が鮒を釣り上げるところをみました。

道に迷ったおかげで素晴らしい景色を見ることができました。
桜の咲くころ、約2kmの間瀬湖の周回を歩いてみたくなりました。

・東小平中山廃寺 木造塔跡(礎石群)
058 さざえ堂下の駐車場にあった
 「案内板」 によれば、
 木造塔跡(礎石群)は、
 「平成15年に行った、児玉町総合運動公園造成工事 に先立つ発掘調査によって、発見されたものをここに移築した。」
「残っていた礎石から塔の復元を試みると、塔高が8m前後の多重塔で、創建年代は瓦片などから8世紀後半と推定される。」

「伽藍は、金堂(仏堂)を中心に講堂や塔によって構成されていた。」 と、記されていました。
どんな伽藍だったか、模型でよいから見てみたいと思いました。

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2009年5月 4日

児玉・百体観音(さざえ堂)

児玉三十三霊場の第一番札所である、平等山成身院の百体観音(さざえ堂)は、休・祭日のみの拝観と聞いて訪ねました。

 たずねきて めぐりて拝む さゞえ堂 百観音の誓い たのもし

4月29日、「骨波田の藤」 の鑑賞に合わせて再度訪ねました。

・百体観音(さざえ堂正面)      ・入り口の「なで仏」
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日本一という 大鰐口 を打ち鳴らしてお参りし、入り口の なで仏 に迎えられて堂内に入りました。

外観は2層ですが内部は3層の回廊づくりです。 
1階が秩父三十四霊場、2階に坂東三十三、3階に西国三十三霊場の観音像が祀られています。

2階の正面には 阿弥陀三尊像 が祀られていました。 その右手には 阿弥陀如来、薬師如来、釈迦如来が祀られていました。

天井を見るとたくさんの千社札が貼ってあります。
また、その下に由緒ありそうな 駕籠 が吊下がっていました。 
どんな身分の人が乗られたのでしょうか??

・2階側面の三如来坐像      ・天井から吊下がる駕籠
051052

3階の正面には馬頭観音が祀られていました。 西国第二十九番霊場青葉山松尾寺のご本尊といいます。

3階正面の扉を開けて外の回廊に出られるようになっていました。
堂内から鍵がかかり、「自分で開いて自分で閉めるように」 との張り紙がありました。
 
扉を開けて外回廊に出てみましたが、回りの景色に変化がなく2階の正面から見た新緑をカメラに収めて下りてきました。 

・3階正面の馬頭観音      ・3階外回廊から新緑を撮る
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     リンク = 2009.2.10 児玉・成身院(続)

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2009年5月 3日

骨波田の藤

樹令650年という 「骨波田の藤」 は、埼玉県の天然記念物に指定されています。

骨波田の藤は、長泉寺本堂前の左右二つの藤棚といいます。

訪ねたときフジは、3分咲きでした。 オープン中の仁王門に上って、2階から眺めて見たのですが花はいまいちでした。

・特別記念物のナガフジ       ・仁王門付近の庭園
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品種はムラサキナガフジで、花房の長いものは1m50cmにもなるといいます。 花見には情報収集が大切ということが分かりました。

ところで、寺院案内には、
「当寺は文正元年(1466)の開山で、文明3年(1471)関東管領上杉顕定を創建開基とする曹洞宗の寺である。」 と記されていました。

山門をくぐった境内の右手に、道元禅師求道之像が建っています。

道元禅師像をお参りして、境内に咲くツツジや早咲きの紫濃藤などを眺めて寺院を出ました。

・鐘楼とナガフジ   ・タラヨウジュとフジ  ・道元禅師立像
016034038

        ※ リンク = 2009.2.7 児玉・長泉寺(続)

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2009年5月 2日

児玉・長泉寺(続々)

本堂内の正面に、ご本尊釈迦牟尼如来が安置されています。 

・児玉三十三霊場第三十一番札所 「曹洞宗 長泉寺」
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ご本尊に向かって左手広間の壁際に、十二支干支守り本尊が並んでいます。 奥の方から

 子年生まれ:千手観音菩薩  丑・寅年生まれ:虚空蔵菩薩
 卯年生まれ:文殊菩薩     辰・巳年生まれ:普賢菩薩
 午年生まれ:勢至菩薩     未・申年生まれ:大日如来
 酉年生まれ:不動明王     戌・亥年生まれ:阿弥陀如来

申年生まれの私は、宝冠をいただき智拳印を結んでいる大日如来が守り本尊です。

ご本尊に向かって右手の広間には、長泉寺の宝物 涅槃図 と、釈迦十大弟子に看取られながら入滅(死亡)した釈迦牟尼仏の装飾工芸品がありました。

子どものころ観音堂で見た 涅槃図 で、釈迦の周りに見たこともない動物がいて大変怖い思いをしたことがあります。
涅槃図を観るのは何年ぶりでしょうか。 じっくりと鑑賞させてもらいました。

廊下には、時を知らせる(ほう・魚鼓)が下がっていました。
大きな梆は叩くとどんな音がするのでしょうか。 一度聴いてみたいものです。

・十二支干支守り本尊       ・時を知らせる梆(魚鼓)
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2009年5月 1日

児玉・長泉寺(続)

長泉寺の本堂前に進みお参りを済ませて本堂の中に入りました。

骨波田の藤の見学に合わせて本堂内もオープンしていて、自由に見学ができました。

003

本堂を入って左側に長泉寺の宝物といわれる大きな置物、「双龍」 がありました。

樹令1500年(推定)という楠の一刀彫りの「双龍」は、見れば見るほど見事という一言につきます。

よく見て見ると、双龍の左上に七福神が並んでいます。 
左から福禄寿、恵比寿天、弁財天、大国天、寿老人、毘沙門天、布袋尊です。

また天狗にゆかりがあるのでしょうか、大きな天狗面がありました。

天狗といえば、沼田の迦葉山弥勒寺の大天狗面を思い出します。

天狗面の高い鼻をみて、天狗面を作って遊んでいた子供のころの、高い鼻作りに苦労したことを思い出しました。   つづく

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