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2009年6月28日

巡回ラジオ体操

6月28日(日)、21年度特別巡回 「ラジオ体操・みんなの体操」 があり参加しました。

   <体操会場である前橋市立高校グランドの横断幕>
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午前5時に自宅を出て会場に向かう。 早くも会場には大勢の人が来て並んでいました。

場所は先着順です。 中央正面前よりの前から3列目に並びました。

開会式では、「前橋は中核都市となった。 前橋元気21のPRをしてほしい。」 との前橋市長のあいさつに続いて、本日のスタッフの紹介がありました。

  <前橋市長のあいさつと今日の体操指導スタッフ一同>
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<画像上左> あいさつをする、高木前橋市長、
<画像上右> 左から
  体操指導:長野 信一さん、 ピアノ演奏:加藤由美子さん、
  アシスタント:家根本織永さん、アシスタント:有賀暁子さん

♪ 新しい朝が来た 希望の朝が 喜びもに胸を開け 大空あおげ
  ラジオの声に 健やかな胸を この香る風に 開けよ 一 二 三
           (作詞:藤浦 洸 作曲:藤山 一郎)

いつ聞いてもラジオ体操の歌は素晴らしいメロディです。 固い体も自然と躍動感が湧いてきます。

間もなく子供たちの夏休みがきます。 近くの公園で朝のラジオ体操が始まります。 

また、夏季と特別の 「巡回ラジオ体操」 があります。 県内の開催であれば出かけるようにしています。

昨年は、北毛地区の片品村で行われた 「夏期巡回ラジオ体操」 に参加しました。

参加の都度、記念撮影をお願いしています。 今年も巡回ラジオ体操の思い出の写真ができました。 

  <記念撮影(左端本人)と巡回ラジオ体操のポスター>
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※ お知らせ! airplane
  6月29日~7月7日の間、ブログをお休みします。
  再開時はまた宜しくお願いします。 

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2009年6月27日

小木から直江津へ

群馬へ帰るという日に智光坊~蓮華峰寺~海潮寺~矢島・経島と 回って観てきました。

佐渡最南端の 「沢崎鼻灯台」 を巡るコース、羽茂の小泊から素浜、小木の大浦、田野浦、沢崎鼻、深浦、宿根木、小木港と約23kmを走れば、佐渡島を一周することになるのです。

しかし、沢崎鼻灯台方面は昨年8月の帰省で回っているので、佐渡最南端のコースは省きました。

午前10時20分、小木港を出港したカーフェリー こがね丸 は、一路直江津港へと向かいます。 

 <カーフェリーこがね丸の船上から城山公園方向を摂る>
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こがね丸の甲板に上がって、遠ざかる小木の入り江を眺めました。

小木には「内の澗(ま)」、「外の澗」 があり、出船千艘・入船千艘で賑わった港といいます。

小木おけさに
 ♪ 小木の入江も静かに暮れて とまり船より立つけむり
 ♪ あかね眺めについ乗りおくれ またの船待つ小木港

乗客からの餌を求めてカモメが、カーフェリーを追って飛んできます。

  <餌を求めて飛び交うカモメ と「イルカ」のモニュメント>
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船内に戻れば、沢根出身の芸術家宮田亮平(現東京芸大学長)氏のモニュメント 「イルカ」 があります。

季節によっては航行中の船と一緒に泳いでいたのを思い出します。 また、夏の帰省では、トビウオが飛ぶ姿も懐かしい思い出です。

船内の売店で買った 『新・にいがた 「歴史紀行」』 を読み進むうち、直江津港に入りました。

小木ー直江津間のカーフェリーの所要時間は、2時間30分です。 

   <直江津港の赤い灯台と港内で行き交う貨物船>
360362_2  <佐渡島紀行文(完)>

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小木の「矢島・経島」

四所五所桜がある海潮寺の山門前の坂道を下ると、「矢島・経島」 の海岸に出ます。

ここは私の好きな観光ポイントの一つです。 友達を連れてきたときは必ず立ち寄る景勝地です。

<浪曲佐渡情話「お光の碑」と矢島・経島へ通ずる太鼓橋>
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朱塗りの太鼓橋は撮影ポイントです。 
太鼓橋の根元で透明な海の中を覗いていたら、ウミウシが動き出し 「爺さんよく来たなぁ」 というように背伸びをしました。 愛嬌者です。

太鼓橋を渡った手前の岩山が「経島」です。 
昔、日蓮の赦免上を持参した日朗 が、3月7日の夜に難破にあい、この岩の上で一晩中読経したことから、経島と呼ぶようになったといいます。

経島と続く「矢島」は、矢竹が採れたことからその名が付いたといわれています。

ここでも、源頼政が怪物鵺(ぬえ)退治をした弓の矢竹が、ここ矢島で採れたものという伝説が残ります。

今は採りつくされて矢竹はないといいますが、
唯一、矢島に残る元農林大臣山本悌二郎(1870~1937)の元別荘の天井に飾りが見られるといいます。

  <記念撮影ポイントの太鼓橋と背伸びをするウミウシ>
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静かな入江は透明度抜群です。 子供が小さい頃この海で泳ぎながらベラ釣りをした思い出があります。

また、友達とたらい舟に乗ったとき、櫂の漕ぎ方が旨いと褒められたことがあります。
しかし、私が漁師のせがれだということは打ち明けていません。

     たらい舟 漕ぎだす沖へ 蝉しぐれ   昭一

友達と、たらい舟に乗っていて詠んだ思い出の一句です。

  <矢島・経島の静かな入江と観光客が乗るたらい舟>
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外海府方面では咲いていなかったイワユリが、ここ南海岸の小木は暖かいのでしょうか、可憐なイワユリが咲いていました。

   <荒々しい岩肌から顔を出して咲く可憐なイワユリ>
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2009年6月26日

小木・海潮寺

小木へ来て回って見たいと思っていたのが、順徳上皇お手植えの桜がある四所五所桜で有名な「海潮寺」です。

海潮寺は小木の名所 「矢島・経島」 へ行く途中にあります。 これまで海潮寺の前は何度も通っていますが寄ったことがありません。

山門をくぐると、本堂に向かって石畳が伸びています。 その中間を過ぎると、柵に囲まれて「五所桜」がありました。

     <旧小木町元小木にある海潮寺の山門>
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佐渡おけさに
  ♪ 佐渡の岬の四所五所桜 枝は越後へ葉は佐渡へ

若いころは「五所桜」を知らずにおけさを歌っていましたが、順徳上皇お手植えの五所桜が、ここ海潮寺にあったとは知りませんでした。 

お手植えの桜は「サトザクラ」といいます。
「花は白く匂いをはなち、黄芽から一葉と八重が混じり咲き、花弁の先端が不規則に細裂する珍しいもの。」 といいます。

現在の桜は、根から芽が出た“ひこばえ”といい、国の天然記念物に指定されています。 

桜の見ごろは、4月の末から5月の初めころといいます。
帰省チャンスがあれば、桜の咲いているところを観たいものです。

 <順徳上皇自らのお手植えと伝えられる「サトザクラ」>
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海潮寺は、佐渡金山奉行大久保長安の家臣である原土佐が建立した菩提寺で、はじめ東泉寺と称したが寛文4年(1664)ころ、梵音山海潮寺となったといいます。

静かな境内では、怖い顔をした石像が五所桜の方を向いて、にらみをきかせていました。

<海潮寺の本堂(左)と境内でにらみをきかせる石像(右)>
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2009年6月25日

小木・蓮華峰寺(続)

弘法堂前の坂を下ってくると、天保15年(1844)建立の「密厳堂」の前に来ました。

密厳堂は、智光坊を建てた 村山村の高野甚左衛門といいます。

密厳堂から「小比叡神社」に来ました。 山王宮、白山宮、天満宮を祀る本殿と石鳥居は、国の指定重要文化財です。

 <密厳堂(国の有文・左)と小比叡神社(国の重文・右)>
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小比叡神社から東へ回ると、
応永年間(1394~1428)の建立(推定)といわれる 入り母屋造りの「金堂(国の重文)」の前に来ました。

その金堂から南へ一段下った所に「唐門」があります。 唐門の横には四面七段の願掛け地蔵尊が並んでいます。

地蔵尊の後方には、スイレンが咲き始めた池があります。 池中央のあづまやから眺める「客殿」は見応えがあります。

また、客殿の前には樹齢600年という雄の大イチョウがあります。 案内によれば、切り口には17種の宿木が寄生しているといいます。
私の目が届くところでは、サクラが1本生えていました。

    <唐門(国の重文・左)とスイレンが咲く池(右)>
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唐門をくぐると左手に、間口14間(25,2m)、奥行き9間(16,2m)の入り母屋造りの「客殿」があります。

中を覗くと、三つ葉葵の御紋が付いた横幕の上に、「小比叡山」と書かれた金箔文字の額が架かっていました。

  <静かな池から大イチョウと客殿(国の有文)を摂る>
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時計と反対回りに見て歩いています。 最後は仁王門に来ました。

一対の金剛力士像は、いずれもケヤキ材を使用し、制作時期は鎌倉時代(14世紀前半頃)と推定されるといいます。

朽ちたような歴史ある金剛力士像は、新潟県指定の文化財です。

 <仁王門(国有文)と金剛力士像(吁形(中)・阿形(右)>
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蓮華峰寺はアジサイ寺とも呼ばれています。 訪れたのが5月25日でした。 今ごろアジサイは見ごろを迎えていることでしょう。

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2009年6月24日

小木・蓮華峰寺

倉谷の智光坊から砂金で有名な西三川、羽茂に入って小泊、村山を過ぎると、国道350号の左手に「小比叡山蓮華峰寺」があります。

佐渡は京都の鬼門にあたることから王城鎮護の霊場として、空海によって開かれたといわれています。

杉木立の広い境内のあちこちに、国の指定重要文化財や国の有形文化財が点在しています。

  <三つ葉葵の御紋が付いた横幕のある入り口の門>
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入り口の門をくぐると、坂を下る石段があり仁王門へと続きます。
その石段を下りずに右手の参道を歩いて観て回りました。

山深い境内にひと際目立つ朱色の「八角堂」があります。 銅板葺き屋根の八角堂は、江戸中期の建立といいます。

八角堂から参道を挟んで弘法大師像が建つ後方に、木造二階建て銅板葺の「鐘楼堂」があります。 

   <八角堂(国の有文・左)と鐘楼堂(国の有文・右)>
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八角堂の並びに「霊廟」が、鐘楼堂の横には「経蔵」とその並びに「八祖堂」、「骨堂」があります。

銅板葺の八祖堂は、江戸中期の建造物と言われ、茅葺屋根の骨堂は新潟県下最古の建造物といいます。

    <八祖堂(国の有文・左)と骨堂(国の重文・右)>
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坂を下ると「弘法堂」へ続く参道に架かる石造りの橋、「無明橋」があります。

長さ4,1m、幅員1,6mの石橋(33枚)の橋石の裏には三十七尊の梵字が刻んであるといいます。
また、徳川末期までは女人の通行は禁止であったといいます。

慶長14年(1609)建立という弘法堂は、室町時代の造風が見られ、堂内には弘法大師座像が安置されているといいます。  つづく

   <無明橋(国の有文・左)と弘法堂(国の重文・右)>
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2009年6月23日

真野・智光坊

今日は群馬へ帰る日です。 佐渡へ来る時は関越自動車道を新潟へ出て、新潟港から佐渡の両津港に着きました。

帰りは佐渡小木港から直江津港を経て、上信越自動車道で帰ろうと国道350号を小木に向かって走りました。

真野倉谷の集落に来ました。 国道右手の狭い道を海側へ300mほど下ると、倉崎山智光坊があります。

佐渡百選にも選ばれている智光坊には、見事な彫刻があると聞いて立ち寄りました。 

      <智光坊山門(左)と山門上の彫刻(右)>
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倉崎山智光坊の案内には、
「新義真言宗蓮華峰寺末寺、本尊: 千手観音。 宝暦年代の寺社帳によれば、大同3年空山を開山とする。

江戸時代の御朱印地で、「不動さん」を管理。 境内の金毘羅権現は天保4年(1833)8月、棟梁の村山村 高野甚左衛門によって建立。

外面の四隅及び柱の簗上に〈竜〉を描き、〈天女・虎・麒麟・鳳凰・獅子・松・水草〉などを配置し、精巧な建築美を現わしている。」
と、記されています。

      <智光坊本堂(左)と本堂上の彫刻(右)>
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   <金毘羅権現堂(左)と権現堂正面上の彫刻(右)>
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 <権現堂正面上の彫刻(左)とお堂側面上の彫刻(右)>
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カーフェリーの出港時間もあり、ゆっくり鑑賞することができません。
次に見学予定の旧小木町の古刹 「小比叡山蓮華峰寺」 に向かいました。

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2009年6月22日

鶴子銀山と山師の墓

佐渡の銀山では最も古いといわれている「鶴子銀山」は、生家から北西へおよそ5kmの所にあります。

今人気のNHK大河ドラマ 「天地人」 の主人公 直江兼続 がゆかりの地、「鶴子銀山」を訪ねてみようと出かけました。 

  ♪ 鶴が舞います鶴子の山で お山ご繁盛と舞い下る

佐渡おけさにも歌われるように、一時期は盛況を呈し、鶴子千軒と呼ばれるほど賑わった所といわれています。

山道を走ってT字路に突き当った所で、「鶴子床屋跡」 の案内が出ていました。

  <別名「金糞平」とも呼ばれる「鶴子床屋跡」の案内>
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その案内によれば、
「ここは精錬所が置かれた場所で、鉱滓(かなくそ)が大量に見つかることから、金糞平(かなくそたいら)とも呼ばれる。
 
また、嘉永元年(1848)に佐渡防衛のため、沢根の初代本間琢斉によって大砲鋳造が行われた場所でもある。」 と記されています。

沢根五十里の 「励風館」 には、初代本間琢斉の碑があります。

鶴子銀山へ続く道を歩こう!」 と案内に出ていたので、500mほど歩いてみましたが銀山跡はほど遠く、諦めて山を一つ越えた西野の集落に向かいました。

西野の集落には、生家の菩提寺 「吉祥寺跡」 と 「金北山神社」 があります。

吉祥寺跡は、昨年の8月に一度来ています。 入り口の丸坊主だった石仏は、赤い帽子をかぶせてありました。

また、今回は石仏の横にあるお堂に初めて入ってみました。 
堂内の厨子には諸仏をまつり、前の壇には十王像と思われる仏像が安置されていました。  

  <堂内に祀る諸仏(左)と入り口に並ぶ石仏群(右)>
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再度西野集落を訪ねたのは、前回の訪問で見落とした「山師の墓」を見てみたかったからです。

鶴子銀山とかかわりがあったという 「山師の墓(秋田権右衛門)」は、吉祥寺跡から100mほど離れた所にあります。

入り口の案内をみると、
「初代 秋田権右衛門は、秋田から佐渡に渡り、元和期の有力山師 古口権兵衛に仕え のちに名跡を継ぐ。

天保元年(1644)には、城之下の多門寺を西野に移築して吉祥寺と改称し、その境内にあった小社を移転し金北山神社とした。

子供がなかった権右衛門は、秋田から権九郎という甥を迎えて二代目権右衛門とした。

二代目権右衛門は、相川の鳥越間歩などの開発・切延べなど銀山巧者として名声を高めた。

承応2年(1653)銘の五輪塔は、先祖古口権兵衛夫妻の供養塔か、秋田の両親の供養塔と考えられる。」 と記されていました。

生家の「吉祥寺跡」や「金北山神社」の起こり、また、銀山開発の山師を知る上で貴重な訪問となりました。

       <山師にかかわる供養(五輪)塔>
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2009年6月21日

金鶴と沢根だんご

生家のある佐渡市沢根五十里(いかり)のみやげは、地酒「金鶴」と「沢根だんご」が有名です。

酒はたしなみませんので、友達から地元の冷酒 「金鶴」 が美味しいと聞いて、みやげに地酒を買って帰りました。

      <清酒 「金鶴」 を酒造する加藤酒造店>
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帰宅して直ぐ、スイミング仲間と 奥利根湖でカヌー挑戦 をしました。

カヌーを漕いで空腹となったお昼時、陸に上がって持参の「金鶴」で乾杯をしました。 「これは上手い!」 と言ってくれた時は、買ってきてよかったと思いました。

<店舗に並ぶ地酒(左)と清酒「金鶴」・「天の夕鶴」(右)>
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よく歌われる民謡に、次のような歌があります。

  ♪ 沢根通れば だんごが招く だんご招くな 銭がない

古里の名物の歌として感心しない文句のように思います。 しかし、食べて美味しいのが名物です。

天保年中(1830~)、沢根の佐藤久次郎が工夫創製し、沢根下町の「中の茶屋」で売り初めたのが最初と聞いています。

当時の沢根は出船入船の盛んな港があった頃です。 また、相川往復の人通りの多い時でもあったので評判となり人気があったといいます。

     <沢根だんごの製造販売元「いけだ菓子舗>
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私の記憶するところでは、沢根だんごは太平洋戦争中から戦後しばらくは作られていませんでした。 

私が生まれて初めて沢根だんごを口にしたのは、世の中の経済が少し上向いた昭和27年(1952)頃だったと思います。

当時、地元の俳句会に入会していたころ、句会の休憩時間にお茶菓子として出されたのが沢根だんごです。

物不足の時代です。 少しオーバーな言い方をすれば、「世の中に こんな旨いものがあったのか」 と思うほどでした。 
外皮がうすくて、甘い漉し餡(こしあん)が入った一口だんごです。 

いけだ菓子舗内には、沢根出身の現東京芸大学長の宮田亮平氏のサイン色紙がありました。

色紙の上には、亮平氏の実兄、第三代 宮田藍堂氏(故人)が書いた 「沢根だんご」 の大きな看板もありました。

<名物 「沢根だんご」(左)と宮田亮平氏サイン色紙(右)>
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2009年6月20日

赤泊・太郎杉公園

赤泊歴史散策の最後は、日本一の大きな杉の切り株があるという 「太郎杉公園」 を訪ねました。

山深い公園の一段高い所に、民話の里あかどまり 「太郎杉の館」 が建っていました。

館の中に入ると階段があり、太郎杉の切り株は 2階から鑑賞するようになっていました。

  <太郎杉の館>       <太郎杉の切り株>
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太郎杉切り株」 の民話を要約すると、

「大杉山にそびえる太郎杉は、子守りをしていた地元の娘に恋をし、若者の姿となって娘と逢う瀬を重ねていた。

切られることとなった太郎杉は、『俺は切られてもその場を動かぬ、お前が来れば動く、それで貰った褒美で暮せ。 お前は俺の子供を何万と宿している、山で用をたすと種が出て杉の木が杉山になる。』 と娘にいって別れた。

太郎杉は切られたが動くことはなく、娘の声に合わせて運ばれ海を渡って行った。 その後、川茂には太郎杉の子が広がり杉の産地として栄えた。」 といいます。

 <館に展示されていた昭和34年撮影の太郎杉の切り株>
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太郎杉の大きさ  長径: 三間( 5,4m)  短径: 二間( 3,6m)
           幹回: 八間(14,5m)  推定樹齢: 2100年

「太郎杉は、川茂杉と呼ばれ、萌芽力、生命力の強い品種で、麓の五所神社には、現存する最大の川茂杉(幹回52m、樹高30m)が神木として残っている。」 といいます。

たまたま、昨日の上毛新聞の 「時代を見つめる 『巨樹』 シリーズ」で、迦葉山弥勒寺の「馬かくれスギ」(沼田市天然記念物)が載っていました。

ちなみに大きさは、幹回: 8,5m、樹高: 35m、樹齢: 約900年で、樹木の内部は朽ちていて、人が立って入れるほどの空洞があるといいます。

ケヤキ、カツラ、スジダイ、スギなど、「時代を見つめてきた巨木」 はどこにでもあるものだと思いました。

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2009年6月19日

戦道陣屋&天狗塚

和尚とムジナの禅問答が残る東光寺を過ぎると、2騎の騎馬武者像が建つ 「戦道(たたかいみち)陣屋」 に着きました。

その陣屋から数百mほど西へ回ると、「天狗塚公園」 があります。

・戦道陣屋の話

城の山公園展望台の展示コーナーで 「戦道騎馬武者の像」を見ていて、どうしてここに騎馬武者なのかと不思議に思って観てきました。

ここ戦道陣屋に来てその事が分かりました。 上杉景勝勢と羽茂城主の義弟、本間三河守高頼軍との合戦場だったのです。

     <戦道陣屋>        <騎馬武者の像>
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陣屋前にあった 「案内」 を要約すると、

「天正17年(1589)6月、越後春日山城主上杉景勝が佐渡攻めの時、沢根に上陸した上杉軍は河原田城を落として羽茂へ向かった。

これを阻止しようと 羽茂城主の義弟 本間三河守高頼が援軍として羽茂に向かった。

このことを察知した上杉軍の黒金安芸守尚信は、本間三河守高頼軍を阻止しようと ここ川茂街道で戦った。
その後、ここが戦道と呼ばれるようになった。」 と記されていました。

騎馬武者に向かって右側が上杉軍の黒金安芸守尚信、左側の槍を持った方が本間三河守高頼といいます。

今人気の NHK大河ドラマ 「天地人」 と関連付けて、興味深く読ませてもらいました。

・天狗山の天狗の話

ここ天狗山公園にも、城の山公園展望台1階展示コーナーにあった 大天狗像 と同じものがありました。

     <天狗塚>          <大天狗の像>
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民話 「天狗塚の天狗」 によれば、

「昔 赤泊の村祭りの日に、上州(群馬県)の迦葉山弥勒寺に住むという天狗が空を飛んできた。

天狗いわく、『世に天狗道を広めんと諸国を行脚し、佐渡はこの村に住む。』 と言って弟子を集めた。

集まった弟子9人は、この天狗山で小天狗となるための厳しい修行が始まった。

     <標高404mの天狗塚から眺める赤泊港>
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厳寒酷暑の中、厳しい修行に耐えて、小天狗としての術を身につけ、時には佐渡で一番高い金北山へひとっ飛びした。

金北山参りで天狗たちが休んだ岩を天狗岩といい、今でも金北山の右にそびえている。 そこには天狗の足跡がたくさん残っている。

ここ赤泊徳和で、小天狗 『板立』 を輩出した野口家(屋号・板立)には、天狗の免状、空飛ぶ羽、棒杖、木剣などが残る。」 といいます。 
野口家の 「天狗の免状」 なるものなど、見てみたいものです。

また、前橋から帰省中の私に、上州(群馬県)迦葉山弥勒寺の天狗が出てきたのにはちょっと驚きました。 coldsweats02

民話 「天狗塚の天狗」 を読んだ後、標高404mの天狗塚から修行中の天狗たちも眺めたであろう、対岸の越後を望み赤泊の景勝を眺めて山を下りました。

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2009年6月18日

赤泊・東光寺(完)

東光寺の広い境内の東側に 「禅達三ツケ山公園」 があります。

園内には稲荷山、熊野山、金毘羅山、禅達奥の院、行者の丘、修行の大岩、池などがあります。

      <稲荷山>           <熊野山>
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稲荷山には「稲荷大明神」、熊野山には「熊野大権現」が祀られています。

赤い鳥居が続く金毘羅山の奥には 「金毘羅大権現」、その右奥に 「禅達奥の院」 があります。

     <金毘羅山>         <禅達奥の院>
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禅達とは、佐渡ムジナの総大将、相川の二つ岩団三郎の四天王の一人、赤泊の 「徳和の禅達」 です。

「徳和の禅達」 は、東光寺に新住職が入山すると、好んで禅問答を仕掛け、答えが拙いと追い出したという伝説のムジナです。 

その一つに、
ある日、太鼓をポンポンと打って、
「どうじゃァ、和尚。 今のは太鼓が鳴ったのか バチが鳴ったのか」
と発問したそうな。 すると和尚は、
「じゃァ、禅達。 おぬしは父の子か 母の子か」 とやり返したそうな。
禅達は、頭をかきかき、こそこそと帰ったそうな。
       (※この項、『佐渡風物詩』 浜口一夫著より)

東光寺の境内には、禅達が住んだという岩屋があるといいます。

子供のころ、大人から聞いたムジナの話は怖い話ばかりでした。
ここ東光寺の話は、ユーモアーがあって面白い話です。

また、ムジナの話は一説によると、山伏信仰がムジナをとおして佐渡に生まれたとも聞いています。

本物のムジナを見たのは、10数年前の6月上旬でした。 大野亀 のカンゾウ祭りの前夜祭で、宿から会場へ往復する途中で、車のライトに驚いて飛び出してきたムジナです。

タヌキに似た、黒いムジナを何匹も見た記憶がよみがえりました。

  <禅達大権現>        <岩屋口>
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2009年6月17日

赤泊・東光寺(続)

十六羅漢堂の前に 「力石」 がありました。 住職の説明を聞き洩らしたため石の重量が分からないまま通り過ごしました。

参道の脇に2本の 「梅の木」 があります。 ともに樹齢200年以上といいます。

 <境内にあった「力石」>  <樹齢200年以上の梅の木>
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次に、住職の案内で本堂に上がり、毎朝お勤めで使うという大きな 「木魚」 を叩いて、音色を聞かせてくれました。

続いて、本堂から庫裏へ回り 金屏風のある 「客間」 から手入れの行き届いた 「庭園」 を眺めました。 心が落ち着きます。

 <朝のお勤めで使う木魚>   <金屏風がある客間>
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庭木の手入れについて、住職いわく、

「庭木 〔雄龍・雌龍〕 の刈入れをしていた植木職人が、雌龍の角を刈り落としたため、即刻、職人を免ぜられた。」 というお話がありました。 寺院にとっては大事な庭木と言えるようです。

<見事な庭園(左)と「雌龍〔左〕・雄龍〔右〕」の庭木(右)>
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廊下の天井に 「魚鼓」 が下がっています。 よく見ると 魚鼓は口を結んでいます。 叩くと音色が違うのでしょうか? 

次の廊下には、佐渡流人 狩野絆幽筆の 「六地蔵板絵図」 がありました。 貴重な文化財を拝観することができました。 

十六羅漢堂から本堂、庫裏と案内をしてくれた住職に、お礼を申し上げます。 「有難うございました。」          つづく

  <廊下天井の魚鼓>       <六地蔵板絵図>
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2009年6月16日

赤泊・東光寺

赤泊徳和の みそなめ地蔵 を少し過ぎた所に、「曹洞宗 東光寺」 がありました。

この寺院は佐渡ムジナ(貉)伝説の岩屋があることで、「佐渡百選」に選ばれている寺院です。

当寺院へは東門から入ったので、いったん山門を出て、改めて山門をくぐり直して入山しました。

   <佐渡百選案内>       <東光寺 「山門」>
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東光寺は、曹洞宗の寺院で 永徳2年(1382)の創立といいます。

ご本尊は、聖観世音菩薩で、佐渡西国第八番札所といいます。
広い境内には、西国三十三カ所順礼塔(享和10年)や、釘念仏塔(明治5年(1768))があります。

         <曹洞宗 白毫山 東光寺 「本堂」>
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山門をくぐると、参道の左手に 「十六羅漢堂」 がありました。 

庫裏から住職さんが出てこられ、寺院内を案内してくれました。 

先ず、羅漢堂を開けて堂内を見学させてくれました。 また、撮影も許してくれました。

左上の 「なでぼとけ」 こと、第一 賓頭盧(びんずる)尊者のみ少し知る程度です。 後は説明を聞いて合掌し拝むだけでした。 つづく

    <十六羅漢堂>      <堂内に並ぶ十六羅漢>
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2009年6月15日

みそなめ地蔵

佐渡は地蔵信仰の盛んなところです。 赤泊の徳和に変わった名前の「みそなめ地蔵」があると聞いて回ってみました。

村の辻の小さなお堂の中を覗くと、地蔵尊が安置されていました。

  <徳和の辻の地蔵堂>     <地蔵尊参りの案内>
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お堂が開いたので、堂内に上がって記帳とお参りを済ませました。 

興味を持って観たのは、供物の一つに味噌樽があったことです。

何でも、お地蔵様の口に味噌を塗って長寿をお願いするとか。 面白い話の地蔵尊です。

 <簡素な堂内に安置されている地蔵尊と供物の味噌樽>
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ところで 地蔵信仰の盛んな佐渡では、いろいろな地蔵尊が祀られています。 ここ徳和でも 「おどり地蔵」 があるといいます。

「その昔、お地蔵様を祀る家の前を通った人が、急に持病が起きて苦しんだ。 その時、正面の地蔵に願かけして持病はおさまった。 

しかし、手元に持ち合わせがなく、心から南無地蔵菩薩と唱えながら踊った。」 との話があるといいます。  

他に、安寿の母が目を洗ったという達者の 「目洗い地蔵」や、真野豊田の「梨の木地蔵」、外海府海岸にある願の「賽の河原」の地蔵が有名です。

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城の山公園展望台

赤泊総合文化会館を出るとき、職員の方が 「赤泊を一望するには、城の山公園展望台がよいでしょう。」 と教えてくれました。

展望台の入り口に 見取り図が出ていました。 1階から4階が展示 コーナーで、外の展望回廊は5階にありました。

    <赤泊港の北の台地に建つ城の山公園展望台>
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展望台は、螺旋階段で時計と反対回りに上るようになっています。

展示室には赤泊の民話や、民話にちなんだブロンズ像などが展示されています。

民話にちなんだ次のブロンズ像(4基)は、当赤泊出身の日展作家 田中足穂氏の作品といいます。

 「戦道(せんどう)騎馬武者の像」、「八寿三郎・土用五郎」
 「悲しい佐渡牛の像」、「爪の沢の蝶ねえの像」

     <戦道(せんどう)騎馬武者の像(1F)>
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民話 「悲しい佐渡牛」 (3F展示コーナーの「案内」より)
「佐渡は昔から和牛の産地であり、農耕用にまた繁殖用に一軒に1~2頭は飼われていた。

佐渡には、優秀な佐渡牛を繁殖させるため、雄牛を売って雌牛は島外に出してはいけないという不文律があったが、ある家で後継ぎに優秀な子牛が生まれたため、母牛を越後に売ってしまう。

越後の浜に下ろされた母牛は、子牛恋しさに佐渡を目指して泳ぎだした。 船頭たちは船で追いかけたが逆風のため捕まえることができなかった。

一昼夜泳ぎ続け帰ってきた母牛は、力尽きて大杉地区の浜に沈んだと語り伝えられており、それからその浜を 「たたずの浜」 というようになった 「母性愛」 を描いた話です。」 とあります。

伝説を読んでいて、佐渡で生活をしていたころ七浦の海岸でゆったりと草を食む黒牛の光景を思い浮かべました。

また、4階にあった 「爪の沢の蝶ねえ」 も面白い民話でした。

  <悲しい佐渡牛の像(3F)と爪の沢の蝶ねえ(4F)>  
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ここで不思議に思ったことが一つあります。 1階の展示コーナーに、元横綱 曙関 の大きな優勝額 があったことです。 赤泊とどんな関係だったのでしょうか? 

5階の展望台に上りました。 展望台の標高はどれほどでしょうか? 赤泊の素晴らしい風景が望めました。

   <赤泊支所方面>      <総合文化会館方面>
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2009年6月14日

赤泊・禅長寺

島民が選んだ島の宝 「佐渡百選」 に、赤泊の 「禅長寺」 が選ばれています。

その説明によれば、
「京極為兼が佐渡に流されたとき、往復の旅宿であったところといわれている。」

「為兼がこの寺での祈願で帰京できたところから、帰京観音の名で信仰される仏像や佐渡七福神の一つ、京極毘沙門天図が安置されている。」 といいます。

(京極為兼=鎌倉後期の歌人。 皇位継承問題に関係したところから永仁6年(1298)佐渡に配流)

<明治31年(1898)に全焼し同37年に再建された本堂>
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松林山 禅長寺の要覧によれば、
 ご本尊は、聖観世音菩薩 (大正6年 初代 宮田藍堂 作)
    (蝋型鋳金家 宮田藍堂家は、生家の近くにあります。)
 創立は、天長4年(827)と伝えられ、開基は天徳3年(959)

 佐渡新四国第十六番札所、本尊は千手観世音菩薩
 佐渡七福神の一つ、毘沙門天を祀る。

 附属仏堂 ・瑠璃殿(薬師堂) 本尊 薬師如来
         ・摩尼殿(地蔵堂) 本尊 地蔵菩薩
        ・奥の院(曾里地観音堂) 本尊 帰郷の観世音菩薩

      <禅長寺の山門>      <旧本堂の鯱鉾?>
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赤泊総合文化会館

赤泊に来ても見学で寄ったことのなかった、「赤泊総合文化会館」 を初めて訪ねてみました。

         <赤泊総合文化会館の入り口>
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入館して先ず、生家が同じ佐渡であっても、文化がこんなに違うものかと思ったのが実感です。

1階の第1展示室には 「祭り」 を、第2展示室には 「村の歴史」 が分かりやすく展示されていました。

赤泊りの祭りは、春の4月と秋の9月に行われるといいます。
その祭りを盛り上げる、華やかな山車1台が展示されていました。

   <1階第1展示室 「島の祭りコーナー」の【山車】>
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1階の第1展示室は、島の祭りコーナーです。

<大獅子> 獅子は霊獣として崇められ、霊力によって悪魔を払い火伏せや息災延命をもたらすといわれています。
神輿渡御の前面で露払いの役目を持ち、赤泊地区には九つの大獅子があるといいます。

<鬼太鼓> 悪魔を払い五穀豊穣を祈って、神社の祭礼に町内を回って奉納される芸能です。
赤泊地区の代表的なものに、筵場(むしろば)・浅生(あそう)系があるといいます。 (佐渡では「鬼太鼓」を 「おんでこ」といいます。)

筵場の鬼太鼓の踊り方はバチ(棒)を持って舞う、旧式・中式・新式の三通りがある。 
浅生の鬼太鼓は、薙刀を持って舞う。 伝承では相川鉱山の工夫が金を掘る姿を舞踊化したものと伝えられるといいます。
(私の生家、沢根は相川系で鬼が薙刀を持って舞う鬼太鼓です。)
 
     <大獅子>           <鬼太鼓>
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<小獅子> 赤泊新谷の小獅子舞いは、
京都祇園の「八鹿(かのこ)舞」に似ているといわれています。

杉浦地区の小獅子は、中名・竹名・へた名の三人が、紀州熊野本社へ参詣したとき霊夢のお告げによって同所から持ち帰ったものと伝えられる。 200年以上の歴史があるといいます。

<つぶろさし> 旧羽茂町の菅原神社と草刈神社の祭礼で行われる太神楽です。
男性と女性が、子孫繁栄、豊かな実りを祈願して奉納するもので、原始的・土俗的 においのする滑稽な神楽と聞いています。

獅子舞や鬼太鼓、つぶろさしなど、人形の動きがテレビで見ることができます。 一味違った祭りの気分が味わえました。

      <小獅子>          <つぶろさし>
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第2展示室には、昭和30年代ころ映画になった「丹下左膳」の作者林 不忘・牧 逸馬・谷 譲次と 三つのペンネームを持つコーナーがありました。

若いころ夢中になって読んだり、映画を観たりした 「丹下左膳」 です。 作者が、佐渡の赤泊出身とは知りませんでした。

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2009年6月13日

赤泊温泉と御座船

食べ物の持ち込みができる赤泊温泉の風呂に入って、その後 昼食をとることにしました。

「あかどまり城が浜温泉 サンライズ城が浜」の浜辺に出てみました。 近くに 「城が浜海水浴場」 が見えます。

浜辺から見て左が温泉施設、右の1階にレストラン、会議室、裂織り実習室、体験実習室などがあり、2階が宿泊室となっています。

  <浜辺から浴室を撮る>   <浜辺から客室を摂る>
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泉質は、含硫黄・ナトリュウム・硫酸塩泉で、神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺などなどに適応するといいます。

穏やかな海の見える浴槽に、ゆったりと浸かって心身ともにリラックスし、あはと美味しく昼食をいただきました。

    <海が見える「あかどまり城が浜温泉の浴場」>
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赤泊のシンボルマーク、「佐渡奉行渡海の御座船」 が赤泊港の近くにあります。

   <佐渡奉行渡海の御座船>    <前方から撮る>
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佐渡奉行渡海の御座船の案内によれば、

「佐渡金山隆盛時の正徳4年(1714)、幕府の天領であった佐渡の奉行が二人制となり、渡海の出港地も出雲埼から寺泊に変わった。

以来幕末まで、奉行が佐渡へ赴任するときは、寺泊から赤泊に渡るコースがとられた。

奉行の乗った船には4畳の仕切りがあり、葵の御紋が付いた帆を張って、朝五ツ(午前8時)頃寺泊港を出港し、七ツ(午後4時)頃赤泊港へ着いた。

我先にと引船役をかって出迎える漁師衆や歓迎の村人らで港は賑わった。 その頃奉行は、赤泊に泊り、翌朝相川へ向かった。」
と、記されていました。

小木方面はよく来ていますが、赤泊までは足が遠のいていました。 赤泊港の勉強ができました。

これからの赤泊の散策、小佐渡の山越えが楽しみです。  つづく

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前浜海岸「松ヶ崎」

松ヶ崎は、越後と佐渡を結ぶ海上の最短距離にあり、その昔、国府の瀬(こうのせ)と呼ばれ、国の津(港)として栄えてきた所です。 

国の津 松ヶ崎港跡には、高さ22mの「鴻ノ瀬鼻灯台」が立ち、
日蓮上人・世阿弥着岸地の碑」、その前に 「松ヶ崎御番所跡」 があります。

国司や役人、流人たちもこの港から出入りし、佐渡配流の日蓮上人や世阿弥もこの港に着いて、ここから小佐渡山脈を越えて国仲方面へ出たといわれています。

     <「日蓮上人・世阿弥 着岸地」の記念碑>
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これまで1・2度この前を通りましたが、少々海岸よりに入り込むため立ち寄ったことがありませんでした。

広々とした広場を散策し、その後 「松ヶ崎御番所跡」 の建物の中に入ってみました。

三間四間ほどの平屋の一番奥に「帆船の模型」があり、周りの壁には「三十六歌仙絵馬」の写真が掛けてありました。

展示されている絵馬は、ここ松ヶ崎の「松前(まつさき)神社」に奉納されていた三十五枚といいます。

近年、旧佐和田町の実相寺で見つかった、寛永元年の作品17枚とともに、江戸初期のものとして注目を集めているといいます。

   <帆船の模型>        <三十六歌仙絵馬>
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松ヶ崎港跡を出てから、入り口にあった赤い鳥居や石塔が気になっていたので寄ってみました。

佐渡七弁天の一つで、弁財天や青龍大権現などを祀る祠がありました。 その横に 「三助・お菊いこいの地」 の案内が出ていました。

「三助(土佐出身)とお菊(能登出身)がともに佐渡へ流されてきた。 その二人が夫婦となって稲作作りに励んだ。」

「この地は、三助・お菊が真夏に語り涼んだ 「いこいの地」 といわれている所」 と、案内に出ていました。

面白い話の地を ゆっくり見学して行きたかったのですが、昼の時間も過ぎたので 次の赤泊へと向かいました。

  <弁天崎の案内>       <石塔が並ぶ弁天崎>
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2009年6月12日

片野尾の「風島弁天」

姫埼灯台から水津港を過ぎると、岩礁に松の木を生やし小さな祠を乗せた 「赤亀岩」 が見えてきます。

その 「赤亀岩」 を過ぎると、高さ数十mという ひときわ大きな岩山の 「風島弁天」 に着きました。

   <頂上に巌島姫(弁天様)をまつる「風島弁天」>
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佐渡の海岸には、弁天様をまつる祠が多くあります。

私の知るところでは、両津の見立・虫崎・水津立島、相川の小野見、二見の台が鼻、真野の高崎、小木の内の澗などがあります。 

風島弁天は、岩の大きさからその代表格のようです。

 <手すりの付いた石段>     <岩壁を削った参道>
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赤い手すりの付いた狭い石段を上り、さらに岩壁を削った急な坂道を足元に注意しながら上りきました。

頂上には、「弁天祠堂」 がありました。

参詣しての帰り道、歩きながら辺りの素晴らしい景色を眺めることができました。 happy01

  <頂上の弁天祠堂>     <参道から海岸を望む> 
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大佐渡の外海府海岸は、北風が強くて樹木が育ちません。 
暖かい小佐渡の前浜海岸には樹木の茂る岩が点在します。

風島弁天も黒松が茂り、美しい景観を見せてくれます。 smile 
海からの爽やかな風を受けながら片野尾の海岸に下り立ちました。

<巨岩に残る古木>     <下り道で海岸を撮る>
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佐渡・姫埼灯台

小佐渡東端の丘の上に建つ 「姫埼灯台」 を中心にして、両津湾に面した方を両津東海岸、外海の方を前浜海岸と呼ばれている。

姫埼灯台は、車で佐渡が島一周をしたとき 何度か訪ねています。

越佐海峡の航海安全のため、明治28年(1895)佐渡の灯台第一号として点灯した灯台といわれています。

姫埼灯台は、鉄造りの灯台としてはわが国最古のもので、歴史的、文化的にも価値の高い建造物で 「世界各国の歴史的に特に重要な灯台百選」 にも選ばれているといいます。

(他には、神子元島(静岡県)、犬吠崎(千葉県)、美保関(島根県)、出雲日御崎(島根県)の灯台が選ばれている。)

     <重要な灯台百選に選ばれている姫埼灯台>
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灯台の説明では、「高さ14,2m、光り方は6秒に一閃光、光は約33kmまで届く。」 と、出ていました。

灯台の一段下に「姫埼灯台館」があります。 有人灯台が昭和36年からの無人化で、今は記念館として残されています。

灯台館の右手の海上に、佐渡百選に選ばれている「龍王岩」が望めます。

     <姫埼灯台館>        <龍王神社>
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この一帯は公園化されて、灯台館から海岸に下る道があり、坂道を下ると岩礁沿いに遊歩道があります。

遊歩道を歩いて坂を上った所に、順徳上皇ゆかりの「龍王神社」があります。

13年前に来た時は遊歩道を歩いたのですが、その後台風の被害にあい、今は「歩行禁止」となっていました。 歩けず残念! shock

  <龍王岩のはなし>      <伝説の「龍王岩」>
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2009年6月11日

津神島神社(続)

東海岸に突き出た黒松の島が津神島公園です。 神社裏の岩の上に航海の安全を祈る善宝寺さんがあります。

善宝寺由来」(建立 明治18年3月)によれば、
「当時の大川港は、加賀、能登、大阪方面からの和船の出入繁しく、夜間出入港に非常に不便を感じていた。」

「廻船問屋 井藤藤左エ門、名主 林冶郎左エ門が発起となり、入港する和船や漁船から寄付を仰いで建設した 【私設灯台】で、当時は非常に喜ばれた。」

「一階には海上安全、大漁満足を祈願して善宝寺を祀り、二階には 【石油五分心絃燈】を毎晩点灯した。」

「当時はそれが最高の明りであったという。 その石油代は和船からの寄付やイカ釣り舟からの トンボ税 として徴収し、それにあてたといわれている。」 と、記されていました。

※ トンボ税 ⇒ 初めて聞く言葉です。 どんな徴収法でしょうか? 

  <燈明台「善宝寺」>     <善宝寺さんの裏側>
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善宝寺さんの裏には、海とつながる 「いけす」 があります。 以前は魚がいたように思いますが何も見えません。

岩の上に立つと、沖合を新潟港に向かうカーフェリーが見えました。

公園内は、イワユリが蕾を膨らませハマナスの花が咲いています。

<新潟へ向かうカーフェリー>   <公園内のハマナス>
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津神島から両津よりに約100mの岩の所に赤い鳥居が見えます。
好奇心から行ってみると、古峯神社が祀られていました。

<災火守護の「古峯神社>     <古峯神社縁起>
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津神島神社

東海岸に突き出た朱塗りの橋がひときわ美しい津神島に鎮座する、津神島神社を訪ねました。

  <東海岸の景勝地「津神島神社」が鎮座する公園」>
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赤い「津神橋」手前の集落のはずれに「波除け地蔵尊」が祀られていました。

波除け地蔵尊の由来」 によれば、
「帆船時代の大川港は、北前船の風待ち港として、大変な賑わいであった。」

「その頃、石見の国の西村幸助所有の帆船が、大波で危険となり、命綱を止めんと作業中、大川の若者一人が岩と船に挟まれ無残な死を遂げた。 その “身代わり地蔵尊” として建立したものである。」

「今もその岩場には、当時の “船繋ぎ岩” が多数ある。 海中から揚げられたイカリも、神社の境内に残されている。」
と、記されていました。

境内の一角には、大川港沖20mの海中から引き揚げられたという、錆びついたイカリが展示されていました。

    <波除け地蔵尊>     <境内に展示するイカリ>
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津神橋を渡って、黒松の参道を100mほど進むと本殿があります。

津神神社の縁起」 によれば、
「祭神は、底筒男尊、中筒男命、表筒男命」

「創始は、仁和2年(1152)8月18日、落乃水(水津と大川の境)の海中より出現された神様を、部落の守護神として、井戸の上遺跡付近(部落上の段丘)に鎮座したのが始まりという。」

「現在の津神島に移転した年代は、元禄以前といわれているが正しい年代は不明である。」

「以来大川部落の守護神として、また、本土交流の千石船の航海安全、商売繁昌の神として多くの人達の心を支えてきた。」
と、記されていました。

  <朱塗りの「神津橋」>     <津神島神社本殿>
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津神島には、これまで何度も来ていますが、「由来」 や 「縁起」 について、これほど熱心に読んだことはありませんでした。

今回はよく読ませていただきました。 これも拙いブログを書くようになったからでしょうか? 一生勉強です!

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2009年6月10日

持秀院と地蔵尊

宇賀神社のお参りを済ませてから、帰りは上ってきた反対側の石段を下りました。

坂を下って直ぐに、山道を挟んだ次の坂道を上ると、海をのぞむ高台に「持秀院」がありました。

『島の神・島の佛』 〔Ⅲ〕 絵 近松行雄・文 田中圭一 によると、

「寺は真言宗の「持明院」と「秀蔵院」を合併して「持秀院」と名付けられた。」

「現在の寺は、秀蔵院のところにある。 また、この寺は目の薬師として知られる。」 といいます。 

  <「秀蔵院」の本堂 >      <目の薬師堂?>
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本堂の横には舟形光背の観音石像が並んでいます。 数えてはみなかったのですが三十三観音? のようです。
      
          <地蔵堂の横に並ぶ観音石像>
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持秀院を下ると、「相川33km 両津港8km」 の道路標識がある県道45号に出ました。 

海を背にした地蔵尊に、地元のお年寄りが花を供えていました。 

ここ両尾(もろお)集落の海岸には、海を向いてたくさんの石塔が並んでいます。 また、イワユリが咲き海は穏やかな風情でした。

 <集落を見守る地蔵尊>     <穏やかな東海岸>
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2009年6月 9日

佐渡・宇賀神社

小佐渡の北端を回ろうと両津湾の東海岸を、姫埼灯台に向けて車を走らせました。

姫崎の灯台へ着くまでに両尾(もろお)の宇賀神さんと、朱塗りの橋が架かる大川の津神島神社があります。

海抜160mの頂上に鎮座する宇賀神社は、穀物の神様ともいわれお正月は2年詣りで大変賑わうところでした。

<宇賀神社の案内>  <本殿まで602段の石段を上る>
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子供のころの佐渡の正月は、ひと月遅れの2月1日が元日でした。

この時期は最も寒い大寒で、寒かったお宮詣りを記憶しています。

山頂の本殿より一段下に、金毘羅神主と秋葉山大権現を祀るお堂がありました。
奉納されていた、鯛、犬、魚の3個の吊るし雛が印象的でした。

本殿が建つ山頂は狭く、本殿がカメラに収まりません。 しかし、狭い境内ですが仏崎の景観が望めました。  

    <宇賀神社本殿>     <境内から仏崎を望む>
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尖閣湾と夫婦岩

荒削りの断崖絶壁が約2kmにわたって続く海岸美、佐渡が島きっての名勝地 「尖閣湾」 に着きました。

同伴の長男は、尖閣湾の絶景を眺めながら歩く遊歩道を知らないといいます。

高さ20mという断崖上の遊歩道を、長男と一緒に歩き始めました。

   <揚島に架かる遊仙橋(真知子橋)と揚島を望む>
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生家から比較的近い尖閣湾は、帰省の都度、家族や友達と一緒に訪ねています。

また訪ねる季節は、初夏から秋にかけて多く来ているようです。

次に、こちらに出たら必ず立ち寄ることにしているのが、七浦海岸の風光明美な景勝地 高瀬の夫婦岩です。

   <透視船発着場>       <高瀬の夫婦岩>
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夫婦岩近くの路上脇に、ハマナスの花が咲いていたので行ってみました。 近くには黄花カンゾウの花も咲いていました。

驚いたことにワラビ(蕨)を見つけたのです。 車にいた家内を呼んでワラビ採りをしました。 

弾埼灯台を訪ねたときは、ワラビとフキ(蕗)採りました。 佐渡の人はワラビに関心がないのでしょうか?

採取したワラビとフキは、湯がいて保存食として持ち帰りました。

 <七浦海岸のハマナス>    <高瀬の黄花カンゾウ>
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2009年6月 8日

平根崎の波食甌穴群

安寿塚から相川寄りに約2,5kmのところに、国の天然記念物指定の「平根崎波食甌穴群」があります。

平根崎の岩場に立って見ると、巨大な広い岩盤が斜めになって日本海に突っ込んでいます。

甌穴群は海面近くにあります。 甌穴を見るには急な岩場を下りなければなりません。 岩場は滑って危険です。

これまでここは何回も通ったことがあるのですが、今回のように甌穴群をよく観察したことはありません。

   <波打ち際すれすれに大小無数の穴があります>
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長年にわたって波が打ち寄せるたびに石が転がって、岩盤が擦れて穴ができる。

ここ平根崎海岸には、大小無数の穴があり、甌穴群の数では世界第2位と聞いています。

目を移すと岩の割れ目に 「カメノテ」(亀の手)が群生しています。

ものの本によれば食するといいますが、佐渡に居たころは食べるものでないと聞かされていました。 
「食べますか」 と聞かれれば、いまも食べる気はありません。 wobbly 

        <岩礁の波間に生息するカメノテ>
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ところで、この付近の海底には温泉が湧出しています。 

以前、ホテルひらねの温泉に入ったことがあります。 展望風呂に浸かりながら、雄大な外海府の景色を眺めたことが思い出です。

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夕鶴の碑と安寿塚

藻浦崎に囲まれた北片辺(きたかたべ)の集落は、民話の里と言われています。

鶴の恩返しで有名な木下順二の 『夕鶴』 の里としても有名です。

県道脇の北片辺保育所敷地内に、木下順二筆という 「夕鶴の碑」 が立っていました。

青年団の頃、舞台で演じた 「夕鶴」 の手伝いをしたことがあります。

   <「夕鶴の碑」案内>       <夕鶴の碑>
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外海府は、山椒大夫をはじめとする民話の里として知られています。

北片辺から南片辺を過ぎるて鹿の浦に入りました。 道路標識に 「安寿塚」 の標識が出ていました。

最初に 「安寿の碑」 を鑑賞し、続いて100mほど離れた海岸よりの畑の中の 「安寿塚」 を鑑賞しました。

          <「安寿と厨子王の碑」案内>
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文庫本 『安寿と厨子王』 は、今でも手元にあります。 子供のころは涙しながら読みふけった記憶があります。

直江の浦、米山(よねやま)、親不知(おやしらず)子不知(こしらず)などの地名が出ると、上越での8年間の生活を思い出します。

  <安寿と厨子王の碑>       <安寿塚>
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安寿塚にはお堂があったといいいますが、いまは標柱のみでお堂の屋根瓦でしょうか、塚の上に積み重ねてあります。 

手持ちの資料に寄れば、お堂内には逗子王親子三体のお地蔵さんがあったと記されています。

    <ダッタン塚>
079 安寿塚の帰り道、トンネルの横にあった小さな祠をカメラに収めてきました。
 祠の前にあった石塔 「韃靼塚」 の文字が読めません。
 またその意味がわかりません。
帰宅して調べたところ、

「「ダッタン」(韃靼)は、蒙古民族の一種でタタール(塔塔児)と呼ばれた。」 とあります。 (『佐渡』 伝承と風土 磯部欽三著 より)

ここ鹿の浦には 「ダッタン人の墓」 があったといいます。
外海府の鹿の浦は、昔の謎を秘めたロマンに富んだ所といえます。
勉強になりました。 delicious happy01 

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2009年6月 7日

入崎海岸

岩屋口から「関の寒戸」を通り越して、夏は海水浴で賑わう入崎の海岸に来ました。

海にせり出した入崎の浜辺は、千本鼻とも呼ばれています。

二つの大岩には、しめ縄が張られ先端の岩礁には祠があります。 ほどなく祠周辺には、可憐なイワユリが咲き始めます。

  <しめ縄を張った大岩>    <海の方から見た祠>
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沖合には、帆掛島や沖の御子岩などがあり、変化に富んだ美しい海岸です。 キャンプ場、海水浴場としても設備が整っています。

ここで、トベラやハマナスの花を眺めながら弁当をひろげました。

  <つぼみのイワユリ>    <色鮮やかなハマナス>
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<参考>
関の寒戸は、二つ岩団三郎の四天王の一、佐武徒(さぶと)という貉(むじな)の祠があることで知られています。

以前に一度、立ち寄ったことがあり今回はパスしました。

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海府大橋と岩屋口

大野亀を発って、北鵜島を経て真更川から岩屋口へ向かう途中に架かる 「海府大橋」 に来ました。

<画像下左> 沖合の方から見ると赤い橋脚の 「海府大橋」
大橋を渡って岩屋口側の道端に車を止めて、橋の真ん中まで来て下を覗いてみました。

橋下の断崖には「大ザレの滝」が流れ落ちています。 しかし、真下のため確認することができません。
 
<画像下右> 海府大橋の真ん中ころで撮った海岸風景
落差100mという大ザレの滝は、舟で沖合から見ることしかできないといいます。
しかし、舟で来た観光客でしょうか、砂浜で手を振っています。

    <海府大橋>          <橋の下を覗く>
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外海府の難所といわれていた海府大橋を過ぎると、岩屋口の遺跡に着きました。 

高さ30mの断壁の裾には、口を開けた様な岩屋口の岩窟がいくつもあります。

<画像下左> 「竜眼の池」 の伝説が残る薄暗い洞窟の入口

          <伝説 「竜眼の池」>
「洞窟の中に我が子の目玉を落として逃げた母竜と、それを拾った翁が薬師様に差し出すと、薬師様はその目玉を洗って池に放した。」

「その後、母竜は再び人間界に姿をあらわさすことなく、その目玉は真夜中に青白い光を放って母竜を待っている。」
旨のことが記されていました。

洞窟の中に入ってみましたが、奥には水溜まりがありました。 

<画像下右> 入り口の右上に 「南無阿弥陀仏」 の刻印
木食遊行僧として知られる弾誓上人の名号書という、六字名号の刻印が見られました。 

   <伝説が残る洞窟>      <六字名号刻印>
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次の洞窟前には岩屋口の観音堂がありました。
観音堂の右上の岩壁にも、六字名号が刻まれていました。

   <六字名号>        <岩屋口観音堂>
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2009年6月 6日

佐渡・大野亀(続)

大野亀の頂上に登れば、外海府の美しい海岸線を眺めることができます。 ここ大野亀に来たときは、山に登ることにしています。

<画像下左> 大野亀の裏側に当たる切り立った岩場
大野亀の見晴らし台から登山道へ回り込む時に見えてくる、シベリアおろしでできた切り立った岩場です。

<画像下右> 山登りの途中で見た美しい海岸の景色 
黄花カンゾウが咲き始めた台地から、ジグザグの山道を登ります。
途中の坂で一息入れたところで、後ろを振り返って見たときの見事な外海府海岸の景色です。
 
   <切り立った岩場>      <外海府の海岸線>
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<画像下左> 日本三大奇岩の一つに数えられる大野亀
これから登ろうとする巨岩の大野亀を、駐車場から眺めて撮った一枚です。

<画像下右> 標高167mの頂上で長男が撮ってくれた画像
頂上付近は柏の木が茂っています。 そこを抜けると航海の安全を見守る大きな石塔が立っていました。

  <日本三大奇岩という大野亀>    <山頂で撮る>
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<画像下左> 山頂に立って東側の 「入崎方面」を撮る。

<画像下右> 山頂に立って北側の 「二つ亀方面」を撮る。

     <入埼方面>         <二つ亀方面>
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2009年6月 5日

佐渡・大野亀

弾崎から藻浦、二つ亀を過ぎると願(ねがい)の集落に入ります。

願には海に突き出た大きな岩山、標高167mの大野亀があります。

<画像下> 大佐渡の北の海に突き出た巨大岩 「大野亀」
 6月、大野亀の台地には黄花カンゾウ(トビシマカンゾウ)が咲き、
 例年6月の第2日日曜日には、カンゾウ祭りが行われます。
 今年は6月14日と聞きました。

     <日本海に突き出た大きな岩山「大野亀」>
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<画像下左> 早咲きの黄花カンゾウ(トビシマカンゾウ)
 過去何回か、友人とカンゾウ祭りに来たことがあります。
 宿は藻浦の民宿「栄国屋」さんでした。

 前夜祭は佐渡郷土芸能 「鬼太鼓(おんでこ)」や「佐渡おけさ
 などを見学しました。

 特に、かがり火の燃えるなか勇壮に舞い踊る鬼太鼓、沖合いに
 輝く漁火を見た光景は今でも心に残っています。

    <黄花カンゾウ>      <海抜167mの大野亀>
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<画像上右> 波打ち際から山頂まで1枚の岩という大野亀
 「」は「」、アイヌ語の「カムリ」に通ずる神聖な島を意味し、
 頂上の石塔は航海の安全を守る竜神として信仰されている。
    (※見晴らし台の「案内板」より)

<画像下> 大野亀の台地、見晴らし台から眺める二つ亀
 黄花カンソウは佐渡の方言で、ユーラメやヨーラメ (卵をはらんだ
 魚の意味)と呼ばれ、鯛などが産卵にくる漁期を告げる花である。
    (※見晴らし台の「案内板」より)

大野亀に来れば頂上を目指すことにしています。 黄花カンゾウが
咲き始めた台地から登り始めました。          つづく 

  <大野亀の台地から先ほど立ち寄った二つ亀を望む>
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2009年6月 4日

弾崎~二つ亀へ

両津港から佐渡最北端の「弾崎(はじきざき)」までは、およそ20kmです。

弾崎の高台には 「はじき野フィールドパーク」 があり、ログハウスやオートキャンプ場、子供広場、日本海を望む見晴らし台などが完備されています。

<画像下左> 佐渡の最北端、弾崎の高台に立つ「弾埼灯台」
  フイルドパークの管理人から聞いた、興味深い話です。
  弾崎の地名は「」で、灯台名は「」を使っているといいます。

  そんなことで調べてみたら、尖閣湾の灯台は「大埼灯台」、
  姫崎の灯台も 「姫埼灯台」 と、「」を使っていました。 
  注意して見ると全国にもあるといます。 勉強になりました。  

     <弾埼灯台>     <喜びも悲しみも幾歳月像>
004005
<画上右> 灯台を背に建つ「喜びも悲しみも幾歳月之像」
  灯台守の生活と夫婦愛をモデルにして作られたという映画
  「喜びも悲しみも幾歳月之像」です。

  像の前に立つとメロディーが流れてきます。 佐渡は帰省してと
  いう実感が湧くところです。 happy01

<画像下> 日本海の水平線が望める「見晴らし台」
  ここは東の水平線から昇る朝日と、西の水平線に沈む夕日
  が見られるところで有名な場所です。

      <見晴らし台から景勝地二つ亀を望む>
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<画像下左> ユニークな「距離案内」が立っていました。
  ちなみに、「ウラジオストック 769km」、「東京 311km」 と出て
  いました。

<画像下右> 佐渡外海府の名勝地といわれる「二つ亀」
  沖の島、磯の島と呼ばれる大きな二つの岩。 その姿が亀に
  似ているところから、「二つ亀」の愛称で親しまれています。

  澄み切った海は海水浴場として、また高台はキャンプ場として
  人気があります。
 
  ここで泳いだのは60歳の定年を迎えた24年の夏ということに
  なります。 懐かしさが湧いてきます。

   <距離案内>     <海底が見える二つ亀海岸>
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2009年6月 3日

奥利根湖でカヌー挑戦

県立ふれあいスポーツのスイミング仲間4人で、みなかみ町の奥地新緑の奥利根湖でカヌーに挑戦してきました。

   <T氏愛用のRV車とカヌー、けん引するヨット一艇>
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<画像下左> 奥利根湖は穏やか、残雪の奥利根の山々を望む。
  コンクリートの巨大なアーチ式の矢木沢ダムは、利根川の最
  上流部に造られた人造湖で、関東地方の水がめです。  

<画像下右> 針葉樹林と新緑が素晴らしい景色を見せてくれる。
  行き先は奥利根湖の左深部、奈良沢を目指してカヌーを漕ぎ
  始めました。

 <残雪が残る奥利根の山>   <見事な針葉樹林>
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<画像下左> 奥利根湖はあくまでも穏やか、湖面の青と山々の
  新緑。 心身ともに癒される湖です。 

<画像下右> 奈良沢湖には行かずに、上陸地点を見つけ上陸し
  「まずは乾杯!」、元気をもらう。

 <大いに心が癒される岬>   <陸に上がって「乾杯」>  
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<画像下左> 青色の救命胴衣を着たのはヨット組のT氏とI氏

<画像下右> オレンジ色の救命胴衣はカヌー組のK氏と筆者

     <ヨット組>           <カヌー組>
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<画像下左から>
  左 = アウトドアに関しては、超一流でリーダー格のT氏
  中 = スイミング指導に関しては、右に出る者なしの I 氏
  右 = 川釣りが専門、上州の川に関して知識豊富なK氏
  右端= 4人の中で長老格の筆者、足を引っ張らないよう
      心がけています。
  <T氏>   <I 氏>   <K氏>   <筆者>
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2009年6月 2日

沢根・白山神社

昭和29年(1954) 「昭和の大合併」 前の沢根町は大字が二つで、沢根は上町と下町、五十里(いかり)は、篭町、田中町、城之下町、炭屋町でした。 ちなみに私の生家は田中町です。

沢根町には、「白山神社」 と書く神社が二つありました。
生家の氏神様は「白山(はくさん)神社」 と呼び、沢根上町は 「白山(しろやま)神社」 といいます。

子供のころはどちらも 「はくさんじんじゃ」 と呼んでいた記憶がありますが、今回の帰省で呼び名の違いを知ることができました。

<画像下左> 石段を上った所に建つ朱塗りの稲荷鳥居
 およそ50段の石段を上ると四脚の稲荷鳥居がそびえています。
 鳥居の下に立って後ろを振り返ると、静かな真野湾が見えます。
  
<画像下右> 鳥居をくぐった直ぐ前にあつた御堂
 「八大竜王」、「舟魂神主」、「金刀毘羅宮」、「稲荷大明神」が
 祀られていました。
    <朱塗りの鳥居>      <諸神を祀る御堂>
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<画像下> 静かな真野湾に向かって鎮座する白山神社
 和銅元年(708)に白山の地に勧請され、天暦3年(949)に
 柳ヶ峰に遷座したといわれています。  
     <ご祭神、伊弉諾尊、伊弉冉尊を祀る本殿>
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沢根町は、海上交通の要となる港として栄えた町と聞いています。

白山神社には、港に出入りした船主や船頭が航海の安全を祈願して奉納したと伝えられる、船絵馬(町文化財)や武者絵馬など29点が奉納されていると聞きました。

船絵馬が見たくて訪れたのですが、朝の散歩では訪ねる時間帯が早過ぎました。

<画像下> 白山神社の右隣にある専得寺の鐘楼と本堂
 専得寺の墓地には、佐渡金山奉行大久保長安の家来で
 佐渡金銀山に功のあった宗岡佐渡の墓があります。
  <専得寺の鐘楼>      <時宗専得寺の本堂>
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2009年6月 1日

古里・沢根の海岸

佐渡を発って54年余、時代は流れ流れて我が古里、沢根五十里(さわねいかり)の海岸も大きく様変わりしました。

子供のころにはなかった防波堤ができ、静かな沖合にはカキの養殖筏が浮かんでいます。

<画像下左> 漁師に信仰のあった篭町の善法寺さんです。
  子供のころ、漁師たちは6月の下旬ころになると船で酒田の
  善宝寺さん詣りに出かけていました。

<画像下中> 帰省して最も心が癒される古里の景色です
  沢根の崖は「沢根層」といわれホタテ貝、タマキ貝等数十種
  の貝化石や海藻の有孔虫の化石が出たところです。

<画像下右> 沖合に伸びる防波堤の先端にある灯台です。
  釣りシーズンともなれば、多くの釣り人が盛んに釣り糸を垂れ
  る姿が見られるところです。

<善宝寺さん>   <穏やかな入江>    <ミニ灯台>
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沖合に伸びる防波堤の上を歩いて、堤防上から古里の景色を眺めるのが、帰省した時の楽しみの一つです。 happy01

<画像下左> 堤防上から海面を覗くと海藻が茂っています。
  夏から秋にかけて、海藻の間から小魚(アジやクロダイなど)が
  泳いでいるところを見ることができます。

<画像下右> 防波堤の中ほどから丘の上の小学校を望む。
  昔の校舎はすでにありません。 大きな体育館と新校舎が見え
  ます。 6月は運動会がありました。 走ることが好きだった私は
  運動会が待ち遠しかったものです。

   <海中に茂る海藻>     <高台の小学校を望む>
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