旅-関西路

2016年6月16日

下蒲刈島(続々)

歩きながら見つけた、海辺近くの道路脇に祀られていた神社です。
何神社でしょう? 
小さい社ながら屋根上の千木、鰹魚木が見事です。
                 < 社 >
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<櫂伝馬船>
海岸近くの道路脇で見つけた櫂伝馬船です。
船体の幅が広く、船首は尖り、船尾は扁平な造りの船です。
高速船として海難救助や緊急時の連絡船として使われたとか。

現在は若者たちが各地で櫂伝馬競争に使って居るといいます。
                         (要旨、案内板より)
勇ましい櫂伝馬競争、一度観てみたいものです。

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<長 雁 木>
海辺に来て長雁木(なががんぎ)を見つけました。
江戸時代、本陣の一環として作られたもので、福島正則公が幕命により作ったところから別名福島雁木とも呼ばれているとか。

作られた当時は長さ約113㍍、11段あったといわれますが、現在は55,5㍍と言います。             (要旨、案内板より)

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<三ノ瀬御本陣跡>
江戸時代浅野藩は、ここを公の繋船場として、番所や本陣、上下のお茶屋を常備した。
番所には繋船奉行のもと定数の船頭、水主が常備されて海上の守りに着いた。
また大名の宿泊、朝鮮通信使、オランダ人の江戸参礼の際の宿泊接待所に当てられた本陣跡と言います。  (要旨、案内板より)

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町中を歩いて見たマンホールの蓋です。 松の模様が見事です。

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               <静かな港内>
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堤防の先端にあった石塔です。 何と書かれているのでしょうか?
                 < 石 塔 >
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石塔の後ろにあった歴史ある綱とり石です。
                < 綱とり石 >
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本陣の裏にあり、江戸時代に本陣用として掘ったという井戸で別名本陣井戸と呼ばれているとか。
この他に 「庄屋井戸」 「番所井戸」 と呼ばれる」ものがあり、何れも切り石で四角に囲んだ立派な造りとなっております。
                         (要旨、案内板より)
             <別名 「本陣井戸」>
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下蒲刈島の本陣井戸の観光を最後に、静かな瀬戸内のしまなみ、とびしま海道の渦潮と15島の島めぐりの旅は終わりました。

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2016年6月15日

下蒲刈島(続)

松濤園の旧吉田邸、あかり館の裏手に回ってみました。
昔懐かしい生活出需品の数々が保管されて居ました。
                < 石臼など >
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               <たらい・桶など>
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              <蓑・笠・糸紡ぎなど>
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④<蒲刈島御番所>
蒲刈島は江戸時代、瀬戸内海の交通の要衝として公式の海駅に指定され、本陣と御番所が設けられて居ました。
御番所には弓と鉄砲を置き、屋前向かって左に高札場、右手には道具立てがあり、突棒・ガリ棒(袖搦み)・サス棒(刺又)の三道具と消火用水桶が備えられていたといわれています。
                       (この項、貰ったパンフより)
               <蒲刈島御番所>
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                < 高 札 場 >
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              <弓と鉄砲の居間>
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              <御番所前の白洲>
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             <水瓶と消火用水桶>
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           <御番所と蒲刈大橋方向>
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松濤園を出て、下蒲刈町の散策に出ました。
                < 常 夜 灯 >
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下蒲刈町は瀬戸内海の交通の要衝として栄えてきた町です。
あちこちと歩いては足を止めて観てきました。        つづく

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2016年6月14日

下蒲刈島

しまなみ、とびしま海道島めぐり最後の観光は、下蒲刈島の松濤園(しょうとうえん)を訪ねます。
松濤園は上蒲刈島から蒲刈大橋を渡った右手方向に有りました。
             <三之瀬地区案内図>
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≪松濤園≫
下蒲刈町は古くから瀬戸内海の海上交通の要衝として栄えてきた町であり、江戸時代には善隣友好の使節団である朝鮮通信使が12回来日したうち、11回立ち寄ったという古い歴史と伝統を持つ、由緒ある町であります。 (この項、貰ったパンフより)
               <松濤園入り口>
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↓、赤○数字の順番で観て回りました。
                <案 内 図>
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入り口の門を潜って直ぐ前の庭に並んで居た石像です。
石像は韓国風です。
韓国の済州島、トルハルバンを思い出しながら観て回りました。
                 < 石 像 >
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①<陶磁器館>
旧木上邸広島県宮島町の町屋 「旧木上邸」 を 「陶磁器館」 として移築復元したもの。
中には初期伊万里や柿右衛門など、陶磁器の逸品が展示されて居ました。
               <陶 磁 器 館>
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庭に出て、先ほど渡ってきた蒲刈大橋をカメラに収めました。
               <蒲 刈 大 橋>
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②<御馳走一番館>
次に訪ねたのは、富山県砺波地方の代表的な商家造りの 「旧有川邸」 を移築した、朝鮮通信使資料館 「御馳走一番館」 です。
石置き屋根に、豪壮な井桁組みの重厚な建物が見えて来ました。 
            <朝鮮通信使資料館>
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江戸時代、朝鮮通信使の来日に際し、下蒲刈島が藩の接待所・玄関口として大歓迎をした記録が多く残されていました。
朝鮮通信使船の模型や饗応料理、七五三本膳、三汁十五菜、特に蒲刈本陣と通信使行列の人形は見事でした。
写真が1枚もないと言うことは館内撮影禁止だったようです。
              <ご馳走一番館>
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③<あかりの館>
山口県上関町の旧家 「吉田邸」 を移築したあかりの館です。
建物は瀬戸内独特の入母屋本瓦葺屋根の古い土蔵造り建築で、室内には車箪笥等江戸時代を偲ばせる家具や生活用品が展示されて居ました。
               <あかりの館>
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あかりの館は裏の方へ回ってみます。     つづく

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2016年6月13日

上蒲刈島(続々)

島めぐり3日目の昼食は、古代製塩遺跡復元展示館近くの 「めぐみの丘蒲刈」 のレストランです。

レストランに入って直ぐ、私たちを迎えてくれた 「いのりびと」 です。
               <いのりびと>
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小さな鐘を軽く一打して、いのりびとの頭を軽く撫でてボケ防止を願いました。
              <鐘といのりびと>
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和食ご膳もそこそこに、
丘の上からの景色が見たくて庭の展望棟に上って見ました。
               < 展 望 棟 >
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カメラを左に振って屋久仕島方向を撮りました。
              <屋久仕島方向>
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左手に見える太子島を撮りました。 
この島は古代製塩遺跡展示館を出た後に、静かな海と綺麗な砂浜に流木を入れて撮った島です。
               <太子島方向>
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展望棟の近くに大きな石が有りました。 
こんな高台に巨岩? 運んでくるにしても大変です。 考えました。
                 < 巨 岩 >
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巨岩横の道路から下を覗くと、静かな入り江の県民の浜方向が望めます。 綺麗な海の色を観て居ると言葉が出ません。
              <県民の浜方向>
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再び太子島の方に目を向けると、沖合を貨物船とフリゲート艦のような艦船が航行して行きます。
この辺りは海上交通の要所のようです。
               <太子島沖>
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この後、上蒲刈島を発った観光バスは下蒲刈島へと向かいます。

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2016年6月12日

上蒲刈島(続)

<第4炉状遺構>
粘土でランチ皿状にしたものの中に石を敷いて塩を作った炉。
ただ、塩を煮詰めるための炉としては小さすぎるため、最終段階の堅い焼き塩作る小型土器用の炉で花以下と思われる。
                       (この項、要旨パンフより)
               < 第 4 炉 >
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<第5炉状遺構>
第6炉状遺跡の真上に造られていましたが、壊されていたためはっきりしたことは分りません。
しかし、約10~20の平石の敷き方、焼かれ具合、炉中の砂の状態、土器破片から製塩炉と思われます。

<第7炉状遺構>
そこのとがった製塩土器などが見つかっており、他の遺構っと同じ内容ですが、使用可能な炉の上に作ってあります。
何か宗教的な儀礼に使われた者でしょうか。
                        (以上、要旨パンフより)
               < 第5 ・7炉 >
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展示室の机の上に並んで居た埴輪です。
               < 埴 輪 >
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隣りには、
「本物の土器にさわってみよう!」 と体験土器が並んで居ます。
             <さわって体験土器>
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古代製塩遺跡復元展示館を出て、砂浜に出て見ました。
静かな瀬戸内の海が広々として見えます。

ここで添乗員さんが、県民の浜をバックに写真を撮ってくれました。
               <記念撮影>
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もう少し海辺によって流木を入れて砂浜を撮ってみました。
               <県民の浜>
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後ろを振り向くと違った流木を見つけました。
流木の近くに来て、近くの太子島とその沖合に浮かぶ小島を入れて撮りました。
               <太子島方向>
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この後、近くの恵みの丘蒲刈で和食ご膳の昼食です。  つづく

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2016年6月11日

上蒲刈島

瀬戸内島めぐりの3日目、大崎下島を発った観光バスは大崎下島と豊島に架かる豊浜大橋を渡って豊島に向かって居ます。

豊島に入る手前です。 観光バスの中から豊島の港を撮りました。
             <大崎下島から豊島へ>
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豊島に渡って休憩です。 
休憩所にあった、安芸灘とびしま海道マップです。
          <安芸灘とびしま海道マップ>
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立って居る所は、↑の豊島の 「現在地」 です。
カメラを少し左に向けて、波穏やかな豊島大橋方向を撮りました。
              <豊島大橋方向>
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休憩所を発った観光バスは、豊島大橋を上蒲刈島へ向かって走って居ます。
            <バスの中から小島を撮る>
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上蒲刈島は、古代製塩遺跡復元展示館の見学です。
                < 案 内 板 >
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             <古代製塩体験施設>
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          <古代製塩遺跡復元展示館>
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展示館の入り口を入った正面には、第1炉から第7炉まで復元展示の品々が並んで居ました。
             <遺跡復元展示場>
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<第1炉、古墳時代前半(5世紀)>

1983年に出土した敷石炉です。 ところどころに残る石は赤く焼け、表面がはく離した跡がありました。 また石の周囲から5世紀の製塩土器、須恵器、土師器なども出土しています。
                       (要旨、貰ったパンフより)
             <第1炉と黒色砂>
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<第2・第3炉状遺跡>
製塩土器片が見つかって居ることから、製塩炉であると考えられます。   (要旨、貰ったパンフより)
               < 第 2 炉 >
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               < 第 3 炉 >
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古代製塩遺跡復元展示館の見学はこの後も続きます。 つづく

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2016年6月10日

大崎下島(続々)

七卿落遺跡の隣に祀られている恵美須(蛭子)神社は、御手洗町で最も古い神社と言われているとか。
               <恵美須神社>
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海際に立つ鳥居は、縁結びのご利益があるといわれて、近年人気がある鳥居と聞きました。
鳥居を通して御手洗港をカメラに収めました。
                 < 鳥 居 >
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カメラを少し右に振って、
この島に来るときに潜ってきた、岡村大橋と今治方向を撮りました。 静かな波の向こうの島は、愛媛県今治市方面です。
            <岡村大橋と今治方面>
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鳥居の近くで振り返って山の方向を撮りました。
花壇とのり面の上は、歴史の見えるる丘公園と言います。
この公園から御手洗の港町を眺めて見てみたかったです。
            <歴史の見える丘公園>
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カメラを右後方に振って防波堤方向を撮りました。
江戸時代の防波堤と言われ、灯台ならぬ燈籠が立って居ます。
             <灯篭が建つ防波堤>
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海岸線から再び町中に入り、大東寺の横を通り抜けます。
石柱には、浄土真宗本願寺派三宝山大東寺と書かれています。
               <大東寺山門>
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続いて、正面の一段高い所に見えたのは満舟寺の鐘楼です。
                < 鐘 楼 >
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鐘楼の下を右に折れて石垣に沿って進みます。
案内に寄れば
「この石垣は、江戸中期の埋め立て以前は海に面しており、戦国時代の築城の技法である“乱れ築き”であることから、何らかの水軍の拠点だったと考えられる。」
             (この項、案内 「海舟寺の石垣」 から抜粋)
            <築城技法が残る石垣>
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石垣の上に見えてきたのは観音堂の鬼瓦です。
本寺院は、真言宗古儀派南潮山満舟寺といい、ご本尊は十一面観世音菩薩といいます。
              <観音堂の鬼瓦>
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町中で見つけたマンホールの蓋です。
先ほどカメラに収めた江戸時代の堤防上の燈籠でしょうか ・・・・。
              <マンホールの蓋>
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大崎下島の御手洗の港町は、観光案内人を伴っての散策でした。
次の観光は、古代製塩遺跡が残る上蒲刈島へと向かいます。

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2016年6月 9日

大崎下島(続)

御手洗歴史地区を観て回る中で見つけたマンホールの蓋です。
白壁の大きな蔵造りの屋敷が印象的です。
               <消火栓の蓋>
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薩摩と長州の約定、「御手洗条約」 が結ばれたという金子邸です。
坂本龍馬や中岡愼太郎などの志士も来島し、密談を交わしたところと聞きました。
                < 金 子 邸 >
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蔵造りの家並みが続きます。
                < 蔵 造 り >
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路地を入った所で観たのは、松浦時計店です。
懐中時計の形をした、赤い丸い時計がほほ笑ましい姿です。
                < 時 計 屋 >
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元映画館だったという洋館の建物は 「乙女座」 です。
座名の上の飾りは乙女の涙? とか、面白い模様です。
               < 乙 女 座 >
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館内は昔懐かしい姿の舞台です。
故郷に 「入江座」 という映画館が有りました。 往時を思い出しながら懐かしく見て来ました。
               <乙女座の舞台>
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立派な格子戸の建物です。 
玄関の傘の付いた裸電球が往時を偲ばせてくれます。
                < 船 宿 跡 >
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歓迎の生け花が嬉しいです。
                < 生 け 花 >
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↓、蛤(はまぐり)御門の変で破れた五卿が、長州へ引き返す途中に宿泊したという竹原屋(庄屋)です。

※五卿とは、
三条実美(さんじょう さねとみ)、三条西季知(さんじょうにし すえとも)、四条隆謌(しじょう たかうた)、壬生基修(にぶ もとなが) 、東久世通橲(ひがしくぜ みちとみ) です。
              <竹原屋(庄屋)>
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竹原屋(庄屋)の横に恵美須神社があります。
神社の鳥居を通して眺める沖合の景色が素晴らしいです。 つづく

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2016年6月 8日

大崎下島

大崎下島は江戸時代の港町、御手洗の町並みを観て歩きます。
            <御手洗の歴史案内板>
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  (※↑、画像の上でクリックして、拡大して読んでください。)

ここ御手洗地区の散策は、現地のガイドを伴っての観光です。

現地ガイドから貰った 「御手洗マップ」 には、
「風待ち、潮まち、港町、そして江戸の竜宮城、御手洗。
瀬戸内海のほぼヘソにある、江戸時代の中継貿易港には、人が集い、物が集まり、文化が育った。
その栄華の残像が平成の今、日本文化を伝えてくれる。」 と。

格子戸の生け花が、私たちを歓迎してくれました。
            <嬉しい歓迎の生け花>
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狭い通りの向こうに、白壁の建物が見えて来ました。
               <元しょう油蔵?>
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書の神様、菅原道真公を祀る天満宮です。
                <天 満 宮>
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書の神様らしく、境内にあった石塔 「石の筆」 です。
                <石 の 筆>
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「ここの水で書初めをすると頭が良くなる。」 と言われている 「管公の井戸」 です。
               <管公の井戸>
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天満宮の本殿下が通り抜けられるようになって居ます。
「可能門」 と有りますが、人それぞれ努力をすれば何ごとも可能という意味でしょうか ・・・・。
                <可 能 門>
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天満宮を出た所でブラシノキが綺麗に咲いて居ました。
               <ブラシンノキ>
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この後、山手の方から海辺の方へと歩いて行きます。   つづく

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2016年6月 7日

大崎下島へ

大崎上島のホテル清風館を出発したバスは沖浦港に着きました。
ここで大崎下島行きの船を待ちます。

静かな沖浦港です。 
灯台をバックに、ウン十4歳を迎える写真を撮って貰いました。
               <沖浦港にて>
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沖合に大崎下島行きのフェリーボートが来ました。
              <フェリーボート>
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               <桟橋に接岸>
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                < 出 港 >
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正面左側の岡村島と、右側の中ノ島を結ぶ岡村大橋が見えます。
               <岡村大橋①>
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岡村大橋が近くなりました。 
橋げたの文字が読めます。 満潮時には水位があがるようです。
                <岡村大橋②>
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岡村大橋の下を潜り抜けます。 その瞬間を撮りました。
                <岡村大橋③>
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振り返って、ホテル清風館があった大崎上島方向を撮りました。
                <岡村大橋④>
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正面に大崎下島の御手洗港が見えて来ました。
                 <御手洗港>
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旅行3日目の観光は、大崎下島の御手洗歴史地区の観光です。

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