旅行・地域

2010年1月 7日

桐生・成田山赤城寺

「不死不動明王に触れて御利益を!」 の新聞記事を読んで、今年の初詣は桐生市新里町の成田山赤城寺へと出かけました。

一方通行の細い山道を数百mほど登ると、そこには駐車場があり、安心して車を止めることができました。

《大黒招き猫》
仁王門の前に、白い招き猫と変わった形の石像が並んでいました。
白い招き猫像は 「大黒招き猫」 といいます。

また横に並んでいる石像は、「貧乏神」と思って見ていましたが良く見ると男のシ○ボ○のようです。

変わった石像もあるものだと感心しながら仁王門をくぐりました。

   <境内の大黒招き猫(左)と丘の上の梵鐘堂(右)>
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《不死不動明王》
本堂前の石段の下に、高さ1,6m、台座を含めて2,7mという新しい 不死不動明像 がありました。

「仏像に直接手で触れて、仏教の教え悟りを開くきっかけになれば」 と昨年暮れに建立し、今年の元日から披露されているものです。

        <仁王門(左)と不死不動明王(右)>
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参詣に来て、ここはシャクナゲ寺院としても有名だと聞きました。

5000本というシャクナゲの見ごろは、4月中ころから5月の中旬といいます。 今度はシャクナゲを見に来lたいと思います。   つづく

  <山際のシャクナゲの木の下に並ぶ不動明王立像>
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2010年1月 6日

桐生・常広寺

山上城本丸跡広場から東下に見える、常広寺 へと下りました。

「寺院の創建は境内が山上城内にあるため、山上城が廃城となった天正18年(1950)以降と考えられる。」 といいます。

      <城の入り口にある曹洞宗常広寺本堂>
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本堂の裏手には八雲大明龍神を祀るお堂があります。 龍神様は雨乞いの神様といわれてています。 ここで雨乞いをしたのでしょうか。

   <本堂裏手の八雲大龍神(左)と龍の石橋(右)>
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《弁財天堂》
「江戸時代中期に建てられたもので、一間四方の寄棟造り銅板葺き、正面に一間の向拭が付いている。」

「欄間の透かし彫りや紅梁(こうりょう)は龍の姿に彫刻し、蟇股(かえるまた)や軒周りにも精巧な彫刻が施されている。」 といいます。

弁財天堂は、桐生市の重要文化財に指定されています。

山門の前に 「江戸地名名付けの里」 の標柱が立っています。 
名付けの里とは、どこから来ているのでしょうか? 
謎解きは次回に回すこととして寺院を後にしました。

  <弁財天堂(左)と「江戸地名名付けの里」標柱(右)>
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2010年1月 5日

山上城跡公園

山上多重塔から東へ400mほど来た所に、「山上城跡」 と書いた櫓が建っていたので公園は直ぐに解りました。

《山上城》
「藤原秀郷の流れをくむ山上五郎高綱が築城し、戦国時代の動乱の終わりころに廃城となったもの」

「城の構造は南郭・三の丸・二の丸・本丸・北郭・笹郭と、南から北へ一直線に並んだ並郭構造」 といいます。

<山上城跡公園の案内櫓(左)と三の丸へ続く木橋(右)>
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広い三の丸跡は、芝生広場となっておりローラー滑り台など子供たちの遊具が揃っています。

また、広場の隅に去年の干支 「丑」 の石座像があり、広場の周りにはロウバイが咲き始めていました。

<三の丸に座る牛の石像(左)と周囲に咲くロウバイ(右)>
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    <子供たちの遊び場となっていた本丸跡広場>
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《追 記》
昨日のブログで、山上多重塔と八大地獄について書きました。

地獄といえば閻魔様、極楽といえば阿弥陀様がいる程度の知識しかなかったので、八大地獄について調べてみました。

八大地獄とは、八つの地獄のことで八熱地獄ともいい、
①等活、②黒縄(こくじょう)、③衆合、④吸喚、⑤大吸喚、⑥焦(炎)熱、⑦大焦(炎)熱、⑧阿鼻地獄 の八つがあるといいます。

また、八熱地獄とは別に八寒地獄もあるといいます。
八大地獄を調べたことで仏教の深さを知り、興味が湧いてきました。

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2010年1月 4日

重要文化財「塔婆」

私たちの旅、今年第一歩の踏み出しは桐生市新里町にある、国の指定重要文化財 「塔婆」 の観賞からスタートしました。

        <国指定重要文化財の「保存堂」>
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《塔婆(石造三層塔)》
「総高約1,85m、多乳質の安山岩製で三層が一石で造られている。
初層の塔身は、一辺が48㎝で垂直に立ち上がり、2層、3層では 『八』 の字状を呈す。」

「各層の四面には朱色が塗られ、上段から右回りに45文字が刻まれている。」

「朝廷や衆生等のため、小師道輪が法華経を守置する塔を造った。」

「無間(八大地獄の一つ、阿鼻地獄)の受苦より救われ、安楽を得て、彼岸(仏道に精進して、悟りの高い境地に達する)へ往けるように願ったと記されている。」 (以上 : 「石塔案内」 より)

<重文の「石造三層塔」(左)その外にあった「石塔」(右)>
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ガラス張りの保存堂内であり、外からカメラに収めてきました。

供養塔は、延暦20年(801)7月17日建立とありました。 
建立年代がはっきりと解る貴重な塔を鑑賞して、今年は年初めから付いていると満足しながら、次の山上城跡へと向かいました。

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2009年12月31日

あしかがフラワーパーク(3)

見どころいっぱいの「あしかがフラワーパーク」は、何といっても大藤の咲く5月の初めに訪ねるのが一番です。

フラワーパークがここ迫間町に移動する前(11年前)に一度、5月の足利尊氏公マラソンを走った後に見学したことがあります。

樹齢140年を超える4本の大藤 「ノダナガフジ」(栃木県指定天然記念物)は、見応えがありました。

西ゲート近くの古代蓮池、「光のピラミッド」 のイルミネーションと、逆さピラミッドが奇麗に映し出されています。

《光のピラミッド》
<午後3時52分撮影(左)午後5時10分撮影のピラミッド(右)>
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《星降る滝》
<午後3時57分撮影(左)と午後5時0分撮影の星降る滝(右)>
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《光るボートと家》
<午後4時0分撮影(左)・午後4時45分撮影の光るボート(右)>
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《銀河鉄道と天空のお花畑と天の川》
  <午後4時3分撮影の銀河鉄道と天空のお花畑と天の川>
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<午後5時17分撮影の銀河鉄道(左)と天空のお花畑と尼の川>
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《高さ23メートルのイルミネーションタワーと神秘的な大藤》
 <午後5時9分撮影(左)同5時15分撮影の神秘的な藤(右)>
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《お礼》
2009年、「つちや昭一BLOG」 への訪問有難うございました。 
2010年も新しい出会いと発見を求めて一歩踏み出したいと思っています。 rvcarbullettrainshipairplane
皆様、良いお年をお迎えください。 fuji

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2009年12月30日

あしかがフラワーパーク(2)

フラワーパーク内はすっかり暗くなって来ました。 観光客も除々に多くなってきました。

デジカメはオート撮影です。 カメラ操作の未熟な私には奇麗なイルミネーションもうまく撮れません。
携帯電話で撮っている人も大勢います。 上手く撮れたでしょうか?

《トナカイとソリ》
<午後3時45分撮影(左)と午後5時13分撮影のトナカイ(右)>
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《光のピラミッド》
<午後3時51分撮影(左)と午後5時7分撮影のピラミッド(右)>
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《光のピラミッド》
<午後3時52分撮影(左)と午後5時5分撮影のピラミッド(右)>
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《昆虫とヒマワリ》
<午後3時58分撮影(左)と午後4時56分撮影のヒマワリ(右)>
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《きばな藤トンネル》
<午後4時2分撮影(左)同5時8分撮影きばな藤トンネル(右)>
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2009年12月29日

あしかがフラワーパーク

樹齢140年をこえる大藤などで有名な 「あしかがフラワーパーク」 を訪ねました。

この時期です。 花の期待せずに 「フラワーファンタジー2009」を観てきました。

三つのテーマーのうち、11月下旬から12月末までは 「クリスマスフアンタジー」 が開催中です。

初めて訪ねたフラワーパークです。 明るいうちに下見を兼ねてライト アップ前の公園内を観て回りました。

   <フラワーステージ近くで夜の点灯を待つトナカイ>
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    <白鳥の湖(左)と点灯前の池と大藤棚(右)>
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   <のんびりとマガモが泳ぐ静かな夕暮れせまる池>
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<夜に備えて腹ごしらえをした公園内のレストランあじさい>
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 <レストランあじさい前から点灯のイルミネーションを撮る>
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2009年12月28日

足利学校(3)

学生の講義や行事、来客用の座敷などに使用されたという方丈の中を観て回りました。
     <方丈の回廊から孔子廟(大成殿)を撮る>
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方丈、書院、庫裡と観て回った後は、学生の生活の場であった衆寮や現在は閉門中の裏門を見て回りました。

続いて、孔子廟の横に回って足利学校代官の墓や庠主(しょうしゅ・学長)の墓などを見学して、太平記館(駐車場)へ戻りました。

 <学生や一般の人が通用門として使われていた「裏門」>
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足利学校の見学は、足利市観光協会事務所がある 「太平記館」の駐車場(無料)が便利です。

ところで、足利に来たら買って帰る銘菓に「古印最中」があります。

昭和61年(1986)5月2日、第10回足利さわやか健康マラソンに初めて参加し10kmを走りました。
マラソン完走後に出合ったのが、足利の銘菓 「古印最中」 です。

その後、5月の足利さわやか健康マラソンには10回出場していますが、甘党の私はその都度 「古印最中」 を買って帰りました。

そのマラソンも、第21回大会から 「足利尊氏公マラソン」 と改称して、毎年11月に開催されてます。

<売店内の足利尊氏公鎧(左)銘菓「古印最中」と栞(右)>
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帰宅後、美味しい古印最中を味わいながら当時の記録を眺めては、若かったころに思いを馳せています。

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2009年12月27日

足利学校(2)

学校門をくぐった正面に、孔子廟(大成殿)があります。

孔子像と小野篁(おののたかむら)像を祀る孔子廟は、中国明時代の聖廟を模して造られたものといいます。

    <孔子像と小野篁像を祀る孔子廟(大成殿)>
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孔子廟の右手に茅葺屋根の 「方丈」 と 「庫裏」 があります。

      <茅葺屋根の方丈(左)と庫裡(右)>
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方丈内は、庫裏から入って書院方丈と見て回りました。

方丈の脇玄関に、孔子像を真ん中に5体の像が並んでいました。 
孔子像の両脇の4体像は、七十七(しちじっし)の弟子でしょうか? 

カメラに夢中で、確認しなかったことを悔やんでいます。

      <方丈の脇玄関にあった孔子像(真ん中)>
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方丈の前に築山泉水式庭園 「南庭園」 と、裏に 「北庭園」 があります。

南庭園の池は 「」 が羽ばたく姿に、北庭園の池は 「」 のように見えるといいます。                        つづく

   <方丈前の南庭園(左)と方丈裏の北庭園(右)>
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2009年12月26日

足利学校

あしかがフラワーパークのイルミネーションを観に出かけました。 
途中、国の指定史跡で日本最古の学校 足利学校 を訪ねました。

《入徳門》
入徳」 の額は、天保11年(1840)に掲げたものといいます。
       <寛文8年(1668)創建の入徳門>
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《孔子像》
入徳門 をくぐって参道を進むと右手に 受付、その前に 孔子像 が、右隣には 稲荷社 がありました。 

孔子像と稲荷社の間には、合格祈願の 絵馬 が架かっていました。

      <孔子像(左)と合格祈願の絵馬(右)>
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正一位 霊験稲荷社は、足利学校の鎮守社といいます。 

      <稲荷大明神 ・八幡大菩薩を祀る稲荷社>
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《学校門》
足利学校のシンボルといわれる 「学校門」 は、入徳門と同じく寛文8年(1668)の創建といいます。

月校門をくぐって 「孔子廟」 まで進むと、廟の前に振り仮名がなければ読めない 「字降松(かなふりまつ)」 がありました。

《字降松》
「読めない字や意味の解らない言葉などを書いた紙を、松の枝に結んでおくと、翌日にはふりがなや注釈を付けてあったことから 「かなふり松」 と呼ばれるようになった。」 といいます。 
 (この項、「見学案内」より)                 つづく

  <学校門(左)とかなふり松の伝説が残る字降松(右)>
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