さいたま路

2009年5月19日

秩父霊場・32番 法性寺(完)

奥の院へ30mという道案内に従って左折し、一つ目の鎖場に着きました。 これから岩登りです。

しっかりと鎖に掴まって大岩を登り、一息入れて手摺の向こうを見たところ断崖絶壁です。

今ここにいるのは私一人です。 足を滑らせたらと思った瞬間、怖い気持ちになり、ちょっと不安になりました。

・最後の鎖場で奥の院に祀られている大日如来を撮る
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上を見ると大きな岩を背にして大日如来が見えます。
鎖に掴まりながら下を見ないように、慎重に足を運んで頂上に上り切りました。

頂上は人ひとりやっと座れる広さです。 左手でしっかりと鎖の根元を掴みながら、大日如来と正面から対面しました。

大日如来は、私の守りご本尊です。 
ご真言は、「おん ばざら だとばん」 です。  合掌

心が少し落ち着いてきました。 鎖の根元を掴んだ左手はそのままで、右片手で大日如来像をカメラに収めました。 

片手で撮った画像は少し右に傾いています。 しかし、奥の院の頂上で撮った思い出の一枚です。

・大日如来が見守る小鹿野町を撮る  ・守り本尊「大日如来」
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※お知らせ! ship
ブログを1W程お休みします。 また、 次回から宜しくお願いします。

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2009年5月18日

秩父霊場・32番 法性寺(4)

観音堂を下って大きな岩屋をくぐり、岩船観音から奥の院を目指して歩きました。

細い山道を喘ぎながら上っていくと、右手に最初の鎖場「龍虎岩」が見えてきました。

・第一の鎖場「龍虎岩」       ・岩屋の胎内観音
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長さ5mほどの鎖に掴まって岩場を登ると、岩屋の中には小さな祠が一つと十数体の仏像が並んでいました。

よく観ると左端に不動明王が建っています。 続いて補修された仏像もありますが、智拳印を結ぶ仏像や数からみて十三仏ではないかと思って観てきました。

鎖につかまりながら下った右手に、大日如来岩船観音への案内板が立っていました。

・仏像へのコース案内      ・右側が断崖絶壁の「大岩」
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大岩に沿って少し下ると、下界を見下ろすように岩船観音が建っていました。

登ってきた証にと観音様をカメラに収めた後、観音様の台座に掴まりながら大岩に立ってみました。 下を見た瞬間、身震いがしました。
大岩の右側は断崖絶壁でした。 bearing wobbly 

船の形の大岩を下りて、次の 奥の院 へと向かいました。 つづく

・通称「お船観音」      ・船の形といわれる 「大岩」
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2009年5月17日

秩父霊場・32番 法性寺(3)

うっそうとした木立の中を歩いて行くと、「奥の院・観音堂」 の道案内が出ていました。

観音堂に向かって右折し、仏塔などが並ぶ細い坂道を数十mほど歩くと、三間四面、回廊のある観音堂に着きました。

・奥の院と観音堂の道案内     ・方形屋根の観音堂
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堂内はスリッパに履き替えて、回廊を時計周り見て回りました。

本堂の裏側には、断崖を背に石塔や石仏がへばりつくように並んでいます。
その横の小さなお堂には数体のお地蔵様が祀られています。

・断崖に並ぶ石塔と石仏       ・観音堂裏の地蔵堂
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堂内には「豊島権の守の娘」の絵額が奉納されていました。

絵額は観音堂縁起にもある、「お船観音」を描いた内容のようです。

観音堂を前立の方に回ると、冠の上に笠をかぶって櫂で舟を漕いでいる珍しい観音様の掲額がありました。 

観世音が舟に乗って出現されたという、この寺の縁起によるお姿でしょうか。   「南無観世音菩薩」 合掌          つづく  

・絵額 「豊島権の守の娘」 ・笠をかぶって櫂を漕ぐ観音様
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2009年5月16日

秩父霊場・32番 法性寺(2)

26年振りに訪ねた法性寺です。 当時の思い出は残っていません。

金剛力士像が立つ山門(鐘楼門)には、「般若山」と書かれた大額がかかげられていました。 ここ般若山の麓に建つ法性寺は、山号が「般若山」です。

石段を上りきると今度は、本堂に「般若の面」がかかっていました。

・般若面がかかる本堂       ・本堂から一段上の境内
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山寺といわれるだけあって境内は狭く、カメラに本堂が収まりませんでした。

本堂を通り過ぎた一段上の境内には、石塔や石碑、仏像などが並んでいます。
よく見ると仏像は、舟の形をした石の上に座っています。 ここには 「船観音」 の縁起があります。

・昭和58年5月5日のご朱印
137 秩父観音霊場
 第三十二番 般若山 法性寺
 ご本尊= 聖観音菩薩
 ご詠歌= 願わくば
        般若の舟に 法を得て
         いかなる罪も 浮ぶとぞ聞く 
 仏像などが並ぶ境内から一段上ると、観音堂の下に建つ毘沙門堂の前に来ました。

納経所と並ぶ毘沙門堂でお参りを済ませて、坂の上の船観音へと向かいました。                  つづく

・納札所と並ぶ毘沙門堂    ・観音堂へ上る手前の石塔群
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2009年5月15日

秩父霊場・32番 法性寺

秩父霊場31番札所から32番、33番、34番の4ヶ寺は、小鹿野町と吉田町にまたがった広い範囲内にあります。

道に迷って通り過ぎた 第32番札所 法性寺 は、小鹿野町を走る国道299号を右折して津谷木橋を渡った山深い所にありました。

・法性寺の山門(鐘楼門)       ・舟形一石六地蔵尊
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山門(鐘楼門)をくぐった直ぐ前に 舟形一石六地蔵 がありました。
大分年代が経っているいるのでしょうか、お顔が欠けた地蔵尊も見えます。 珍しい舟形石碑だったのでカメラに収めてきました。

山懐に建つ法性寺の山門(鐘楼門)には、一対の金剛力士像が安置されています。

金剛力士像は門に向って左側に、口を閉じた那羅延金剛(吁形)、右側に口を開いた密迹金剛(呵形) が、大きく眼を見開いて建っていました。

その山門をくぐると直ぐに、数十段の石段が続きます。

第31番札所の観音院で、山を下りるときに一緒になった巡礼者が、「32番札所の法性寺は、奥の院へ行くまでに鎖場がありますよ。」
と教えてくれました。

観音堂は石段の上にあります。 観音堂から、さらに上の奥の院を目指して石段を上りました。               つづく

・那羅延金剛(吽形) ・密迹金剛(呵形) ・石段脇の地蔵尊
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2009年5月14日

秩父霊場・31番 観音院(完)

観音山と東奥の院の分岐点から、数十m歩いた所に見晴らし台がありました。

見晴らし台には観音堂大宝筐印塔が建ち、山の向こうには西奥の院の休憩所 「あづまや」や石仏が並ぶ岩屋が見えました。

観音堂から一段下ると狭い広場には、香塚(芭蕉の句碑)仏像が並んでいました。

芭蕉句碑には 次の句が刻まれていました。

   清く聞かん 耳に呑たいて 子規(ほととぎす)  芭蕉

・東奥の院の「観音堂」        ・香塚(芭蕉の句碑)
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先ほどの交差点に戻ってから、左に回れば西奥の院へ行けるのではないかと思って山道を歩き始めました。 
しかし、行けども行けども西奥の院は行けそうにありません。

山岳縦走コースの案内を見て、西奥の院へは行けないことに気づきました。 そこで観音山へ行ってみようと考えてコース案内に従って観音山を目指して登りました。

山深い観音山です。 ちょっとやそっとで行けそうにありません。
途中の仁王尊細工場跡(見るものなし)から引き返しました。

・山岳縦走コース案内         ・仁王尊細工場跡
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馬のひずめ跡を見てみようと、先ほどの交差点を左折して仏像が並ぶ岩屋に向かいました。

岩屋の中には39体の仏像が並んでいるといいます。
その岩屋の前に「畠山重忠駒繋ぎ場」があり、馬のひずめ跡があるといいます。
 
よく観察しましたが、ひずめ跡の確認ができずに下山しました。

駐車場では家内を1時間以上も待たせたのです。 お小言を頂戴して次の32番札所の法性寺に向かいました。  shock

・畠山重忠駒繋ぎ場          ・洞窟内の仏像群
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2009年5月13日

秩父霊場・31番 観音院(3)

山岳霊場といわれる観音院の参内には、約250体もの仏像が散在するといいます。

聖浄の滝左手の岩屋には、仏像が並んでいます。 
また、左手の大岩には弘法大師像や弘法大師の爪彫りといわれる千体仏が見えます。

・岩屋の中の仏像           ・岩屋の弘法大師像
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西奥の院には、多くの磨崖仏や胎内くぐりなどの史跡があります。 しかし、危険のため入山禁止となっていました。 残念です!

本堂の右手にある慈母観音の前を通り、納経所の脇を通り抜けて東奥の院へ向かいました。

納経所前に、新生代第3紀(2千万年前)の地層がありました。

・慈母観音像              ・2千万年前の地層
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2千万年前の地層をカメラに収めて、東奥の院への坂道を登切ると、東奥の院と観音山への分岐点に来ました。 
ここには数体の地蔵尊が並んでいました。

また、ここで後方を振り返ると、聖浄の滝の上の岩屋に安置されている仏像群を見ることができました。          つづく  

・分岐点の地蔵尊           ・滝の上の仏像群 
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2009年5月12日

秩父霊場・31番 観音院(2)

石段を登り始めた直ぐ前に、杉木立の苔むす岩の両側には無数の句碑が並んでいます。

    百仏に 百の声あり 木々芽吹く   宗平

観音院の石段の思い出として残る一句をメモってきました。 
句碑といえば、神川町の金鑚神社の裏山、鏡岩へ登る坂道の句碑が思い出されます。

・石段の両側に並ぶ句碑         ・観音堂
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296段の石段は、お経を唱えながら一段づつ登ると厄除けのご利益があるといいます。

おん かかかびさんまぁ えいそわか」、「おんころころ せんだり まとうぎそわか」、
子どものころ、両親が唱えていたご真言を思い出して口ずさみながら石段を登りきりました。
(帰宅後に調べたところ、地蔵菩薩と薬師如来のご真言でした。)

観音堂は、三方が岸壁に囲まれた小広場の中に建っていました。 

・昭和58年5月5日の御朱印
138_2 秩父観音霊場 第三十一番
 鷲窟山 観音院
 (じょうくつざん かんのんいん)
 ご本尊= 聖観音菩薩
 ご詠歌= みやま路を
         かきわけ尋ね 行きみれば
          鷲の岩屋に ひびく滝つ瀬


本堂の横に家内安全、健康長寿にご利益があるという大宝篋印塔が建っていました。

その奥には、落差約60mという 聖浄の滝 がありました。 しかし、訪れた時は水がなく滝は枯れていました。

滝の横には、大岸壁を背にして不動明王が建っています。 つづく

・大宝篋印塔      ・聖浄の滝      ・不動明王像
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2009年5月11日

秩父霊場・31番 観音院

水子地蔵寺前を通り過ぎ、小さなトンネルをくぐって川沿いを600mほど行くと、右手の山麓に仁王門が見えてきました。

駐車場前の道路を渡ると小さな橋があります。 その橋を渡ると直ぐの所に仁王門があります。
門の中には、石造りの一対の大きな仁王像が立っています。

荒削りの2体の仁王像は、台座から約4m、秩父札所随一の大きさを誇るといいいます。

仁王門横の 「案内板」 によれば、石造りの仁王像は明治元年(1868)長野の石工 藤森吉弥一寿の作と記されていました。

・身の丈1丈3尺(3,91m)という仁王像を安置する二王門
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大きく見開いた目、荒削りの胸元、丸く大きく突き出たお腹、丸彫り石造りの仁王像は威厳がありす。
見れば見るほど力強さを感じる仁王像です。

仁王門をくぐると直ぐ前に、大きな仁王の手形がありました。 何でも願い事を書いて奉納すると、その願いが叶えられると聞きました。

念ずれば花ひらく」 の手形前をスタートに、
総数296段あるという 「やくよけかいだん」 を一段一段、ゆっくりと登り始めました。               つづく
・仁王像(吽形)    ・仁王像(阿形)    ・大きな手形
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2009年5月10日

水子地蔵寺

第三十二番の法性寺へ行く予定が、左折する道を間違えたので先に第三十一番の観音院へ向かいました。

観音院へ行く途中に、水子地蔵で知られる紫雲山地蔵寺があります。 鯉のぼりが揚がる地蔵寺をお参りして行こうと駐車場に入りました。

・1万数千体の水子地蔵と200匹の鯉のぼりが泳ぐ地蔵寺
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地蔵寺は水子供養の必要性を感じた橋本徹馬氏(1890~1990)が、昭和46年(1971)に創建した寺院といいます。

本堂前にあった資料や月刊誌 『紫雲』 を貰って帰り、帰宅後に読ませて貰いました。

また、ネット上でも勉強させてもらい水子供養の必要性を感じ取っています。

当寺院は、小鹿野観光八景にも選ばれており四季折々に花が咲き、また、雛祭りや端午の節句、七夕祭りは大変賑わうといいます。

一度見てみたいのは、石仏のすべてにローソクが立てられ、幻想的な夜景が見られるというお盆のイベントです。

・水子を見守る地蔵尊        ・高台に並ぶ水子地蔵
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2009年5月 9日

小鹿野の「ようばけ」

マイカーのエステマにはカーナビが付いていません。 知らない土地ではたびたび道に迷うことがあります。

おばけはどこですか?」 、駐車場に入って坂を上ってきた家族に聞いたところ、「おばけでなく、ようばけでしょうか?」 と、聞き返されました。

ようばけとは小鹿野町指定の天然記念物、赤平川右岸ののことでした。 車の運転をしながら見つけたのは、おばけでなくようばけだったのです。

・小鹿野町指定の天然記念物 「ようばけ」
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坂の途中にあった案内版によれば、

「豪倉地内を流れる赤平川の右岸に、白い岩肌を見せる大きな崖があります。 この崖を “ようばけ” と呼んでいる。」

「バケは 崖のことで、陽(日光)のあたる様子から名付けられたと伝えられている。」

「高さ100m、幅約400mにわたる地層の大露頭部で、周囲の自然と調和し見事な景観をつくっている。」 旨のことが記されていました。

崖下を流れる赤平川の河原には、大勢の家族ずれが来てレジャーを楽しんでいました。

車を止めた駐車場は、小鹿野で発掘された大型哺乳類パレオパラドキシアの化石や、海トカゲ竜などを展示している おがの化石館 の駐車場でした。

続いて、三十二番の法性寺に向って車を走らせましたが、ここでも道に迷いました。

途中で大きな山門が見えたので寄って見たところ、曹洞宗のお寺で長慶山 鳳林寺といいます。

ご本尊は釈迦牟尼仏で、秩父七福神めぐりの大悲毘沙門天を祀る寺院でした。 

・鳳林寺の本堂            ・境内で観た見事な松
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道に迷ったことによりようばけから鳳林寺と、今日の予定になかった二つの新しい発見がありました。
気分を良くしながら 第三十二番札所 法性寺へと向かいました。

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2009年5月 8日

秩父霊場・33番 菊水寺

三十四番札所の水潜寺から逆回りに、第三十三番札所 菊水寺へ向かいました。

駐車場から道路を渡って参道を進むと、正面に「正大悲殿」と書いた大きな額を掲げる観音堂前に来ました。

境内にあった寺院案内によると、高さ88cmのご本尊 聖観音立像は、県指定の有形文化財といいます。

また境内には、市指定史跡の 「長福寺の芭蕉句碑」があり、堂内には、市の有形文化財 「菊水寺の子返しの図・孝行和讃の図」 があるといいます。

・入り母屋造りの観音堂       ・本堂前の芭蕉句碑
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入り母屋造りの観音堂は、中が土間でそのまま中に入れます。 
何でもご本尊を近くで拝むようになっていると聞きました。

薄暗い堂内でお参りを済ませたあと、外に出て芭蕉の句碑を見ましたが句が見えません。 後日、ネットで調べたところ、
       寒菊や こぬかのかかる 臼の端   でした。

・昭和58年5月5日の御朱印
136 秩父観音霊場
 第三十三番 延命山 菊水寺
 ご本尊= 聖観音菩薩
 ご詠歌= 春や夏
         冬もさかりの 菊水寺
           秋の眺めに おくる年月

 観音堂の左手奥に、交通安全・家内安全を祈願する稲荷社があり、願掛の白狐が並んでいました。

参詣が終わった後に気付いたのですが、市の指定史跡 「芭蕉の句碑」 が 「長福寺」 となっていました。

寺院を出た参道前の標柱は、「大櫻山長福寺」 となっています。
菊水寺と長福寺の関係が分からないままに寺院を発ちました。

・白狐が並ぶ稲荷社       ・八重桜並木の菊水寺参道
03301

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2009年5月 7日

秩父札所・34番 水潜寺(続)

本堂(観音堂)の横に 水くぐりの岩屋 があります。
水潜寺という寺名の起こりも、水くぐり岩屋から湧出する長命水が起源といいます。

水くぐりの岩屋に行ってみたかったのですが、「入山禁止」 の立札があって中に入れません。

・水くぐりの岩屋を撮る      ・岩屋から流れてくる長命水
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讃佛堂(納経所)前の一段下に六地蔵尊が並んでいます。
地蔵尊の呼び名は宗旨によって異なるのでしょうか? 

私が知る呼び名と少し違ったいたのでメモを取ってきました。
<画像右から>
  ・延命地蔵尊(地獄道)    ・宝性地蔵尊(餓鬼道)
  ・法性地蔵尊(畜生道)    ・持地地蔵尊(修羅道)
  ・陀羅尼地蔵尊(人間道)   ・法印地蔵尊(天上道)

・六道能化の地蔵尊         ・慈悲の菩薩「七観音」
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百観音結願堂の裏手に、七観音がまつられていました。
<画像右から> 
 ・千手観音 ・聖観音 ・馬頭観音 ・十一面観音 ・准胝観音
 ・不空羂索観音     ・如意輪観音

・昭和58年5月5日の御朱印
20 秩父観音霊場 
 第三十四番 日沢山 水潜寺
 ご本尊= 千手観世音菩薩
 ご詠歌= 萬代(よろずよ)の
         願いをここに 納めおく
          苔の下より いづる水かな

 ご詠歌にも詠われているように、苔むす山深い緑の中の寺院です。
 26年前に訪ねた時は境内に白いサギゴケが咲いていていました。 

満願記念にと一株いただいて帰ったサギゴケは、毎年我が家の庭に白い小さな花を咲かせてくれます。 (画像下の右)

いまの境内は玉砂利が敷かれていて、境内の周りにはオダマキシャガがひと際きれいに咲いていました。

・オダマキ       ・シャガ     ・我が家に咲くサギゴケ
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2009年5月 6日

秩父札所・34番 水潜寺

新緑に魅せられて秩父札所めぐりに出かけました。 群馬から最も近い第34番札所の水潜寺から逆回りにスタートしました。

水潜寺は、今から26年前の昭和58年(1983)5月5日に一度来ています。 驚いたことに寺院や境内の様子が当時とすっつかり変わっていました。 

寺院入り口の左手の土手に、三十三観音石像が並んでいます。
よく見ると聞いたことのない観音様の名前があります。 後学のため三十三観音の名前(入り口から)を書き取ってきました。

・水潜寺の案内板            
006 ・灑木(しゃすい)観音  
 ・持蓮(じれん)観音
 ・不二(ふに)観音     
 ・一如(いちにょ)観音
 ・合掌(がっしょう)観音
 ・馬郎婦(ばろうふ)観音
 ・普悲(ふひ)観音   
・六時(ろくじ)観音 ・蛤蜊(こうり)観音 ・多羅尊(たらそん)観音
・三十三観音石像
007 ・瑠璃(るり)観音  
 ・葉衣(ようえ)観音 
 ・阿摩提(あまだい)観音
 ・阿耨(あのく)観音
 ・能静(のうじょう)観音
 ・岩戸(いわど)観音 
 ・衆宝(しゅうほう)観音
・延命(えんめい)観音 ・威徳(いとく)観音 ・青頸(しょうきょう)観音
・讃佛堂(納経所)
017 ・一葉(いちよう)観音
 ・水月(すいげつ)観音
 ・徳王(とくおう)観音 
 ・魚濫(ぎょらん)観音
 ・施薬(せやく)観音
 ・瀧見(たきみ)観音
 ・蓮臥(れんが)観音
・白衣(びゃくえ)観音 ・遊戯(ゆげ)観音 ・圓光(えんこう)観音
・持経(じきょう)観音 ・龍頭(りゅうず)観音 ・楊柳(ようりゅう)観音

観音様の名前で、難しくて読めない漢字や手持ちの辞書にない漢字がありました。
しかし、パソコンは何でも答えてくれます。 何とかまとまりました。

名前の由来についてはよく分かりませんが、観音様は三十三の姿に化身して衆生を救うと聞いています。 その名前でしょうか?

・本堂(観音堂)                  
014 坂道を上りきると、
 百観音詰願堂讃佛堂(納経所)、本堂(観音堂)が並んで建っています。
 讃佛堂(納経所)内は撮影禁止でした。
 堂内の左手には、なで仏こと オビンズル様が座っていました。

・金子兜太翁句碑
009 諸佛堂の前に、
 皆野町が生んだ俳人(現代俳句協会の名誉会長)金子兜太氏の句碑が建っていました。
 曼珠沙華
    どれも腹出し
        秩父の子  兜太

「佐渡島の郷土芸能 “相川音頭” は、五七五調である。」 旨のことを何かに書いていた、金子兜太氏の一文を読んだことがあります。

また、同氏の著書 『俳句専念』 や2009年2月25日から読売新聞に連載された 『時代の証言者』 を読んで、「俳句の未来は明るい。」 と結んでいたことが記憶に新しいところです。     つづく

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2009年5月 5日

間瀬湖と礎石群

骨波田の藤で有名な長泉寺から百体観音(さざえ堂)ヘ行く途中で道に迷い、川をせき止めて造った人造湖 間瀬湖 に着きました。

・間瀬川をせき止めて造った人造湖 「間瀬湖の堰堤」
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堰堤の横にあった 「案内板」 によれば、

「昭和12年(1937)、利根川水系の間瀬川をせき止めて造られた、日本で最初のコンクリートダムの灌漑用人造湖である。」

「周囲2km、水深は最も深いところで20mあり、緑と清流に恵まれた自然の中にある。」

「湖畔には約300本の桜が植えられ、4月上旬ころの堰堤周辺は桜と周囲の山々の景色が見事に調和され、『新日本百景』、『ふるさとさいたま百選』、『利根川百景』 に数えられている。」

「へら鮒釣りのメッカとしても知られている。」 と記されていました。

・堰堤を渡った向こうから撮る   ・穏やかな間瀬湖の絶景
040041

堰堤を歩いて、堰堤の真ん中辺りで立ち止まって上流を眺めました。 
すばらしい景色に見とれていたら、静かな湖面に浮かぶボートの釣り人が鮒を釣り上げるところをみました。

道に迷ったおかげで素晴らしい景色を見ることができました。
桜の咲くころ、約2kmの間瀬湖の周回を歩いてみたくなりました。

・東小平中山廃寺 木造塔跡(礎石群)
058 さざえ堂下の駐車場にあった
 「案内板」 によれば、
 木造塔跡(礎石群)は、
 「平成15年に行った、児玉町総合運動公園造成工事 に先立つ発掘調査によって、発見されたものをここに移築した。」
「残っていた礎石から塔の復元を試みると、塔高が8m前後の多重塔で、創建年代は瓦片などから8世紀後半と推定される。」

「伽藍は、金堂(仏堂)を中心に講堂や塔によって構成されていた。」 と、記されていました。
どんな伽藍だったか、模型でよいから見てみたいと思いました。

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2009年5月 4日

児玉・百体観音(さざえ堂)

児玉三十三霊場の第一番札所である、平等山成身院の百体観音(さざえ堂)は、休・祭日のみの拝観と聞いて訪ねました。

 たずねきて めぐりて拝む さゞえ堂 百観音の誓い たのもし

4月29日、「骨波田の藤」 の鑑賞に合わせて再度訪ねました。

・百体観音(さざえ堂正面)      ・入り口の「なで仏」
044053
日本一という 大鰐口 を打ち鳴らしてお参りし、入り口の なで仏 に迎えられて堂内に入りました。

外観は2層ですが内部は3層の回廊づくりです。 
1階が秩父三十四霊場、2階に坂東三十三、3階に西国三十三霊場の観音像が祀られています。

2階の正面には 阿弥陀三尊像 が祀られていました。 その右手には 阿弥陀如来、薬師如来、釈迦如来が祀られていました。

天井を見るとたくさんの千社札が貼ってあります。
また、その下に由緒ありそうな 駕籠 が吊下がっていました。 
どんな身分の人が乗られたのでしょうか??

・2階側面の三如来坐像      ・天井から吊下がる駕籠
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3階の正面には馬頭観音が祀られていました。 西国第二十九番霊場青葉山松尾寺のご本尊といいます。

3階正面の扉を開けて外の回廊に出られるようになっていました。
堂内から鍵がかかり、「自分で開いて自分で閉めるように」 との張り紙がありました。
 
扉を開けて外回廊に出てみましたが、回りの景色に変化がなく2階の正面から見た新緑をカメラに収めて下りてきました。 

・3階正面の馬頭観音      ・3階外回廊から新緑を撮る
048049
     リンク = 2009.2.10 児玉・成身院(続)

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2009年5月 3日

骨波田の藤

樹令650年という 「骨波田の藤」 は、埼玉県の天然記念物に指定されています。

骨波田の藤は、長泉寺本堂前の左右二つの藤棚といいます。

訪ねたときフジは、3分咲きでした。 オープン中の仁王門に上って、2階から眺めて見たのですが花はいまいちでした。

・特別記念物のナガフジ       ・仁王門付近の庭園
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品種はムラサキナガフジで、花房の長いものは1m50cmにもなるといいます。 花見には情報収集が大切ということが分かりました。

ところで、寺院案内には、
「当寺は文正元年(1466)の開山で、文明3年(1471)関東管領上杉顕定を創建開基とする曹洞宗の寺である。」 と記されていました。

山門をくぐった境内の右手に、道元禅師求道之像が建っています。

道元禅師像をお参りして、境内に咲くツツジや早咲きの紫濃藤などを眺めて寺院を出ました。

・鐘楼とナガフジ   ・タラヨウジュとフジ  ・道元禅師立像
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        ※ リンク = 2009.2.7 児玉・長泉寺(続)

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2009年5月 2日

児玉・長泉寺(続々)

本堂内の正面に、ご本尊釈迦牟尼如来が安置されています。 

・児玉三十三霊場第三十一番札所 「曹洞宗 長泉寺」
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ご本尊に向かって左手広間の壁際に、十二支干支守り本尊が並んでいます。 奥の方から

 子年生まれ:千手観音菩薩  丑・寅年生まれ:虚空蔵菩薩
 卯年生まれ:文殊菩薩     辰・巳年生まれ:普賢菩薩
 午年生まれ:勢至菩薩     未・申年生まれ:大日如来
 酉年生まれ:不動明王     戌・亥年生まれ:阿弥陀如来

申年生まれの私は、宝冠をいただき智拳印を結んでいる大日如来が守り本尊です。

ご本尊に向かって右手の広間には、長泉寺の宝物 涅槃図 と、釈迦十大弟子に看取られながら入滅(死亡)した釈迦牟尼仏の装飾工芸品がありました。

子どものころ観音堂で見た 涅槃図 で、釈迦の周りに見たこともない動物がいて大変怖い思いをしたことがあります。
涅槃図を観るのは何年ぶりでしょうか。 じっくりと鑑賞させてもらいました。

廊下には、時を知らせる(ほう・魚鼓)が下がっていました。
大きな梆は叩くとどんな音がするのでしょうか。 一度聴いてみたいものです。

・十二支干支守り本尊       ・時を知らせる梆(魚鼓)
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2009年5月 1日

児玉・長泉寺(続)

長泉寺の本堂前に進みお参りを済ませて本堂の中に入りました。

骨波田の藤の見学に合わせて本堂内もオープンしていて、自由に見学ができました。

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本堂を入って左側に長泉寺の宝物といわれる大きな置物、「双龍」 がありました。

樹令1500年(推定)という楠の一刀彫りの「双龍」は、見れば見るほど見事という一言につきます。

よく見て見ると、双龍の左上に七福神が並んでいます。 
左から福禄寿、恵比寿天、弁財天、大国天、寿老人、毘沙門天、布袋尊です。

また天狗にゆかりがあるのでしょうか、大きな天狗面がありました。

天狗といえば、沼田の迦葉山弥勒寺の大天狗面を思い出します。

天狗面の高い鼻をみて、天狗面を作って遊んでいた子供のころの、高い鼻作りに苦労したことを思い出しました。   つづく

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2009年4月30日

児玉・長泉寺

ウオーキングをしていると、何処からともなく フジ の花の芳ばしい香りがしてきます。

フジも見ごろと思って、骨波田の藤(こつはたのふじ) で有名な、埼玉県児玉町の長泉寺を訪ねました。

ここは2月の初旬、児玉の さざえ堂 を訪ねたとき、道に迷って立ち寄ったお寺です。

・一対の金剛力士(密迹(みつしや)金剛)を安置する二王門
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山門をくぐると、正面に重層の仁王門がそびえています。 

フジの花見に合わせて仁王門がオープンしていました。 2階の扉が開いて、何人かの観光客が見えます。

仁王門をくぐった右手に階段があります。 その階段を上ると2階は「延命殿」となっていました。

延命地蔵尊像を正面にして左に聖観音立像、右に文殊菩薩立像が安置されていました。 いずれも等身大の大きさです。  

2階の回廊から、寺院境内の四周を眺めることができす。

その回廊から有名な骨波田の藤を眺めましたが、フジの鑑賞には少し早く残念な気持ちで眺めてきました。

仁王門の右手に、日本はがきの始まりと伝えられる タラヨウジュ(樹令約250年)の木があります。

タラヨウジュに緑色の花が咲いています。 初めて見るタラヨウジュの花に感動しながら花の写真をカメラに収めました。   つづく

・金剛力士(吽形)  ・金剛力士(阿形)  ・タラヨウジュの花
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2009年4月27日

神流川水辺公園

桜山公園からの帰り道、神流川に架かる上武橋を渡って埼玉県神川町の神流川水辺公園を訪ねました。

ここで、コンビニエンスストアで買ってきたおにぎりを広げて、川面に映る鯉のぼりを眺めながらおにぎりをほおばりました。

・新緑と清流・鯉のぼり眺めながらおにぎりをほおばる
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水辺公園の入り口に、「渡戸の渡し」の案内が出ていました。

「川を渡る所を 〈わたるせ〉〈わたらせ〉 そして〈わたせ〉などという。

ここは〈○○の渡戸〉 といいますが、対岸の鬼石町の小字名も渡戸といいます。」  (大事な部分「○○」の文字が解りません。)

「この渡しは、秩父や長野県との人馬の交通や荷物を運ぶのに大切な渡しで、明治時代には秩父の 「まゆ」を群馬県富岡の製糸工場に運ぶのに使われました。」 と、記されていました。

・馬頭観音         ・石経塔      ・老婆に似る姥石様
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「渡戸の渡」 案内の横に、石塔が三つ並んでいました。

姥石様・石経塔・馬頭観音 (並び順は右から)

「渡戸の渡し場の坂を上がった右側に、姥石様と石経塔そして馬頭観音が祀ってありました。」

「姥石は黒色の自然石で、高さ85cm、下幅75cmの おばあさんが座っているように見えるので姥石といいます。」

「風邪などの流行病(はやりやまい)にかかった時に拝むと早く治るという言い伝えがあってお参りをした。」 と、案内に記されていました。

清らかな水が流れる神流川の水辺公園を見て回り、整備された庭園や思いがけない姥石様を眺めながら午後のひと時を過ごしました。

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2009年2月10日

児玉・成身院(続)

成身院から約100mほどの坂道を登った山の中腹に、百体観音堂(さざえ堂)はありました。

・百体観音堂(さざえ堂・児玉町指定重要文化財)
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観音堂は、2層で内部は3階建て、高さは約20mといいます。

1階に秩父三十四観音、2階に坂東三十三観音、3階に西国三十三観音を祀ります。

堂内を三回巡って中央の本尊白衣観音をお参りするといいます。

堂内は閉ざされていて参拝ができません。 せっかく訪ねて来たのに残念です。 

観音堂の境内にある、児玉町指定の重要文化財を観て回りました。

<画像下左> ・唐銅造大日如来坐像
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「高さ85cmの金剛界大日如来で、円形光背や蓮台、台座に多くの寺院や氏名が陰刻してあり、武州の金屋鋳物師が郷土に残した数少ない文化遺産」 といいます。 (町指定文化財)

<画像下中> ・鰐口(わにぐち)
「直系180cm、厚さ60cm、重さ50kg あり、「寛政7年(1795)乙卯春三月」 の陰刻がある。」 といいます。 (町指定文化財)

貴重な文化財を拝観し、百体観音の拝観・参拝は次回に来ることとしてさざえ堂を後にしました。

<画像下右> ・弘法大師立像

・大日如来坐像      ・鰐口        ・弘法大師立像
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2009年2月 9日

児玉・成身院

不慣れな土地です。 道に迷ったりして平等山成身院(さざえ堂)を探すのに苦労しました。

・金剛力士を祀る「仁王門」     ・成身院本堂
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成身院は、骨波田の藤で有名な長泉寺から数百mほど離れた所にありました。 

寺院は、真言宗豊山派平等山成身院で、ご本尊は不動老明王児玉三十三霊場第一番札所 です。

寺院案内によれば、 
「近世に到るまで檀家制はとらず、北武蔵四箇本寺の一つとして上・武二州にわたって、末寺122か寺を総括する五朱印寺であった。」

「僧侶育成の専門道場(檀林所)として経営され、豊山十八世能化秀慶(のうかしゅうげ)や百観音堂を建立した元映(げんえい)上人をはじめ、多くの名僧を輩出した。」

「大正8年の火災で本堂を失い、現在のものは昭和49年に再建したものである。」 と、記されていました。

百観音堂(さざえ堂)が建つ山中に向かって、坂道を登りました。

・秩父34、坂東33、西国33の百観音を祀る 「さざえ堂」
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2009年2月 7日

児玉・長泉寺(続)

文明3年(1471)開山という長泉寺の仁王門をくぐると、境内の真ん中に池があります。

・長泉寺の七かえる (メモを取ってきました。) 
053 1 交通安全(無事かえる)
 2 家門繁栄(家がさかえる)
 3 商売繁盛(お金がかえる)
 4 不老長寿(若さがかえる)
 5 福寿円満(健康にかえる)
 6 開運万足(運がさかえる)
 7 幸福祈願(幸せがかえる)

・不老観音(能救世直若)
055 本堂前の不老観音です。
 「案内板」には、
 「この観音様は、この世の厄難を
 救い、災難を除け、特にボケ封じ
 延命長寿の功徳あり。
 和願 愛語」
 と記されていました。  合掌 

本堂の前にある二つの藤棚は、樹令650年という埼玉県指定の天然記念物 「骨波田の藤」(こつはたのふじ)です。

品名はムラサキナガフジといい、咲きながらのびて 花房は平均1~1,3m、長いものは1,5mにも達するといいます。

長藤の咲いたところを一度見てみたいものです。

・長泉寺の 「本堂」         ・道元禅師求道之像
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2009年2月 6日

児玉・長泉寺

児玉町の平等山成身院のさざえ堂に向って車を走らせていたら、道に迷って長泉寺の山門前に来ました。

これも何かの縁と思って長泉寺をお参りし、新しい発見を得ました。

・長泉寺の「三門」           ・重厚な「仁王門」
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寺院案内によれば、
長泉寺は曹洞宗の寺院で、大用山骨波田洞院長泉寺
(だいようざん こつはたりゅうどういん ちょうせんじ) といいます。

本尊は釈迦牟尼如来で、児玉三十三霊場第三十一番札所 です。

開基は、文明3年(1471)、上杉民部大夫顕貞(あきさだ)、開山は、大洞存斎大和尚 と記されていました。

仁王門の横に、日本はがきの始まりと伝えられる樹令250年という タラヨウジュ の木がありました。 
タラヨウジュ(多羅葉樹)とは、初めて聞く樹木名です。 

帰宅後ネットで調べたところ、埼玉県ときかわ町の天台宗慈光寺にもあることが分かりました。
 
「葉面を傷つけると黒色に跡が残り、字が書けることから 『葉書』 の語源といわれる。」 といいます。 

タラヨウジュ、知らないことがまた一つ勉強になりました。  つづく

・吽形の仁王像    ・阿形の仁王像    ・タラヨウジュ
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2009年2月 5日

大光普照寺

金鑚神社から国道462号に出て児玉町に向かって数百mほど走ると、元三大師(がんさんだいし)に着きました。

国道に沿って建つ朱塗りの山門は、ひと際目立って見えます。

・大光普照寺「山門」     
043 寺院は、
 ・天台宗別格本山特別寺
 寺院名
 ・金鑽山一乗院大光普照寺
 (かなさなさん いちじょういん
        だいこうふしょうじ)
 
 ご本尊  ・十一面(大光菩薩)観音  ・元三(慈恵)大師

・大光普照寺「本堂」       ・唐破風の見事な彫刻 
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元三大師
平安時代の天台宗の僧で、諡(おくりな)は慈恵大師(じえだいし良源(912~985)上人)、正月三日に亡くなったことで、元三大師と呼ばれる。

尊称に、厄除け大師角大師豆大師などがあり、庶民の信仰を集めている。 

黒い角をはやし、ぐりぐりの目をして口は耳まで裂け、あばら骨のものすごい形相の守り札を見たことがあります。

民家の軒下などで見かける御守り札は、角大師からきていることに納得しました。 また、おみくじを考案した僧でもあるといいます。 

ここ大光普照寺を参拝して、初めて知ったことです。  合掌  

・忍岡穴稲荷尊社         ・朱塗りの鐘楼 
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2009年2月 4日

金鑚神社(続)

金鑽神社の境内は約2万坪といい、国指定重要文化財 「多宝塔」や、同特別天然記念物の 「鏡岩」 があります。

「鏡岩まで約500m」 の案内板を見て、登って見ることにしました。

・坂道に並ぶ「句碑」        ・御嶽の鏡岩
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神楽殿から末社を祀る広場を抜けると、ヤマトタケルの石像が建つ山道です。 ここを右に曲がると句碑が並ぶ坂道となります。
たくさん並ぶ句碑の中から、私が選んだ一句です。
   ひぐらしの 声を拾いし 鏡岩  深谷市 黒沢美枝子

道の両側には、句碑のはほか双体道祖神や牛若丸、布袋尊などの石像も見られます。

坂道の左手に鏡岩が見えてきました。 鏡岩の案内によれば、
「高さ約4m、幅約9mで北向き、約30度の傾斜をなしている。」

「御嶽の鏡岩は、約1億年前の岩断層活動のすべり面である。」

「戦国時代、敵から防御するため松油で岩面をいぶしたため赤褐色になった。 高崎城(群馬県)が落城した時は、火災の炎が映ったと伝えられている。」 などの伝説が残るロマンの岩です。

・奥の宮台地の「石仏群」    ・岩峰西側の「弁慶穴」
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鏡岩を過ぎたころから石像が見られるようになり、坂道を登りきると奥の宮の台地に出ました。

ここには百体観音が安置されています。 しかし、今は石像の数も減って80体ほどと案内には出ていました。

奥の宮の岩峰西方に伝説の弁慶穴がありました。 
岩峰の頂上では360度の素晴らしい眺望を楽しんできました。 coldsweats01

・方位盤のある奥の宮の岩峰 ・岩峰から赤城山方面を撮る  
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2009年2月 3日

金鑚神社

旧鬼石町の桜山に咲くロウバイを鑑賞して、埼玉県神川町二の宮の金鑚神社(かなさなじんじゃ)を訪ねました。

大鳥居をくぐって、二の鳥居を通過して駐車場に入ると、山際の高台に多宝塔がそびえて見えます。

・円筒形塔身の「多宝塔」 ・義家橋から拝殿前へ
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多宝塔(国指定重要文化財)の 「案内」 によれば、
「三間四面のこけら葺き、宝塔(円筒形の塔身)に腰屋根がつけられた二重の塔婆である。」

「天文3年(1534)に阿保郷丹荘(あぼごうたんしょう)の豪族、阿保弾正全隆(あぼだんじょうぜんりゅう)が寄進したものである。」

「真柱(しんばしら)に、
『天文三甲午八月晦日 大檀郡安保弾正全隆』 の墨書銘がある。」 と、記されていました。 貴重な文化財 「多宝塔」 を拝観しました。

源頼義・義家が戦勝祈願で架けたという義家橋を渡ると、拝殿前に出ます。
拝殿前には、数え切れないほどのおみくじが納められています。

・金鑚神社「拝殿」         ・みくじ納所            
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また、拝殿の回廊脇に、去年収穫された稲が入賞等級別に奉納されていました。

石段の上に拝殿、その後方に中門があります。 金鑽神社の案内を読んで本殿がないことを知りました。 御神体は、後方の山そのものを神体山とする原始信仰の古社といいます。 

また、本殿がない神社は、長野県の諏訪大社、奈良県の大神神社と、ここ埼玉県の金鑽神社の三社のみということも知りました。 

・稲穂(右から1等、2等、3等)  ・拝殿に続く「中殿」     
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