ぐんま・西毛

2009年12月25日

高崎・大圓寺

高松塚古墳群から東へ300mほど来たところに、真言宗豊山派の 大圓寺 があり寄ってきました。

真言宗豊山派といえば、我が家の宗旨と同じです。 興味があったので参拝後境内を観て回りました。

 <新しい山門(左)と山門をくぐった左手に石塔群(右)>
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《大圓寺本堂》
意王山 慈法院 大圓寺 といい、ご本尊は地蔵大菩薩です。

          <地蔵菩薩を安置する本堂>
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《阿弥陀堂》
境内には、高崎市の文化財 大圓寺木彫阿弥陀如来座像 を安置する 阿弥陀堂 がありす。

文化財案内には、
「高さ85cm、ヒノキの寄木造りの座像で、ふくよかなお顔や切れ長の目、反り耳、着衣のひだ等の状況から、鎌倉時代中ごろまでに造られたものと推定される。」 と記されていました。

     <阿弥陀如来座像を安置する「阿弥陀堂」>
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整然とした境内には、弘法大師立像、観音菩薩立像、地蔵菩薩像、二十二夜塔その他たくさんの石塔が並んでいました。

     <地蔵菩薩石造(左)と観音菩薩石造(右)>    
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2009年12月24日

はにわの里公園(5)

保渡田古墳群の中で、二子山古墳は5世紀第3四半期ごろの築造といわれています。

「初めての発掘(昭和5年)では、内堤から埴輪片が発見された。」
「平成15~17年の史跡整備調査では、朝鮮半島製の遺物破片が見つかった。」 といいます。
         <後円部頂上へ上る道と階段>
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 <舟形石棺の実物大写真(左)と「石棺の姿」案内(右)>
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         <豪族の棺ー舟形石棺の案内>
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        <埴輪列と埴輪の立て直しの模型>
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八幡塚古墳群を見て回るうち、4年前に訪ねたエジプトはルクソールの西岸に広がる「王家の谷」を思い出しました。

同じ墓ですが、その内容や規模の大きさにおいて大差はあるものの、先人が残した遺跡から古代への思いは尽きません。  (完)

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2009年12月23日

はにわの里公園(4)

八幡塚古墳から西南に広がる 二子山古墳 を訪ねました。

はにわの里公園には、国の指定史跡 保渡田古墳群(二子山・八幡塚・薬師塚古墳)と土屋文明記念館、かみつけの里博物館、はにわ工房などがあります。

<二子山古墳へ行く途中の「はにわの里公園」の案内石>
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 <画像下左 : はにわの里公園内に設置された休憩所>
画像前方左手に かみつけの里博物館、中ほどに古代人住居跡、右手に二子山古墳 が見えます。

  <画像下右 : 復元展示されている 「古代人住居跡」>
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二子山古墳は、八幡塚古墳より少し前に造られた全長約110mの巨大な古墳で、この地域の開拓者が眠る墓といいます。

        <二子山古墳(左)と古墳案内(右)>
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二子山古墳にも四つの中島がありました。 こちらには円筒埴輪が並んでいません。 地域開拓者の墓だからでしょうか?   つづく

   <古墳内堀に見られる中島の四つある中に一つ>
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2009年12月22日

はにわの里公園(3)

八幡塚古墳の人物・動物埴輪は、古墳の東南東に並んでいます。

円筒埴輪に囲まれた中には、54体の人物・動物埴輪があります。

  <八幡塚古墳の東南東に並ぶ人物・動物埴輪群>
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<画像下左> 鳥を腕に据える男子立像

<画像下右> (左から時計回りに)
          1・椅子に座って琴を弾く男子像
       2・3・4・椅子に座る男子像(3・が中心人物)
          5・椅子に座って盃を捧げる女子像

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<画像下左> 盛装男子?双脚立像と武装男子双脚立像

<画像下右> 飾り馬〈大型〉とその向こうに鶏と水鳥像

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人物・動物埴輪を見ていると、1500年前という古代の歴史とロマンを感じます。

椅子に座って琴を弾く男子埴輪、王冠を載せた主に杯をさし出す女子埴輪など、今も変わらぬ光景に出合い足を止めました。 つづく

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2009年12月21日

はにわの里公園(2)

今から1500年前の王の墓といわれる八幡塚古墳は、頂上の穴の中に王の舟形石棺石棺蓋石などが展示されています。

    <古墳の中の舟形石棺(左)と石棺蓋石(右)>
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八幡塚古墳には、約6000本の埴輪(はにわ)が並べられていたという発掘結果があります。

人物や動物埴輪が並んでいた場所は、古墳内堤の東南側と南側の二か所といいます。

  <古墳の頂上部から東南側の人物・動物埴輪を撮る>
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古墳の内堤には、復元された円筒埴輪がびっしりと並んでいます。

また、外堤には古墳を守る兵士埴輪が点在しています。  つづく

<内堤の円筒埴輪と悪霊から古墳を守る外堤の兵士埴輪>
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<古墳外堤のあちこちで悪霊から古墳を守る兵士の埴輪>
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2009年12月20日

はにわの里公園

高崎市保渡田町の上毛野(かみつけの)はにわの里公園には、国
の指定史跡 「保渡田古墳群」 があります。

薬師塚古墳、二子山古墳、八幡塚古墳と三つの前方後円墳のうち、
「八幡塚古墳に約5,700本の埴輪(はにわ)を設置し古代の光景を再現した。」 という新聞記事を読んだことがあり寄って見ました。

<八幡塚古墳を縦方向に見て北の土屋文明館側から撮る>
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八幡塚古墳は、「今から1500年前に造られた王の墓」 といわれています。 全長100m、3重に堀を巡らした大きな古墳です。

  <古墳を東側から見て撮る(左)と古墳案内図(右)>
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八幡塚古墳は、外側から外周溝、外堤、外堀、内堤、内堀、中島、墳丘とあり、内堀には円い四つの中島があります。

古墳資料によれば、「中島は死者へのおまつりをする場と推定される。」 といいます。

おまつりが行われたとすればどんな祭祀が行われたのでしょうか?
興味が湧くところです。                  つづく
 
  <古墳北側左手の中島(左)と北側右手の中島(右)>
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  <古墳南側左手の中島(左)と南側右手の中島(右)>
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2009年11月22日

桜山公園「日本庭園」

桜山の山頂付近で冬桜を眺めた後は、山を下って日本庭園に戻りました。

1500トンの三波石を用いて清流と組み合わせた造ったという池は、本格的な 池泉回遊式庭園 といいます。

その池泉回遊式庭園の カエデモミジ が紅葉して、庭園の景観を さらに引き立てています。

          <日本庭園の紅葉(その1)>
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       <日本庭園の紅葉(その2 ・その3)>
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          <日本庭園の紅葉(その4)>
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          <日本庭園の紅葉(その5)>
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桜山公園の冬桜は、国の名勝 及び 天然記念物 に指定されています。 例年12月1日は 「冬桜祭り」 が行われています。

お祭りは大変賑わうと聞いていますが、まだ一度も見に来たことがありません。
新しい発見と出会いを求めて、一度は訪ねてみたいと思っています。

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2009年11月21日

桜山公園の冬桜

藤岡市三波川(旧鬼石町)の 桜山公園の冬桜 が見ごろと聞いて出かけました。

桜山には、約7,000本の冬桜が植えられています。 
これまで桜山の冬桜は何度か見に来ていますが、今年は花の付きがよいように思います。

   <展望台から山頂へ登る手前の尾根に咲く冬桜>
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紅葉する日本庭園を通り過ぎて、展望台で冬桜を眺めたあと一気に山頂を目指して登りました。

穏やかな山頂では、冬桜をながめながら持参のおにぎりを広げて戴きました。

       <標高591mの山頂付近で咲く冬桜>
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食事の後は、山頂付近で咲く冬桜やサザンカ、椿と合わせて、紅葉狩りも楽しみました。

   <山頂付近に咲いていたサザンカ(赤・白・ピンク)>
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        <山頂付近で見たカエデの紅葉>
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ここ桜山公園には、去る1月27日に ロウバイ を見に来ています。
続いて4月24日には、山菜取りの帰りに 新緑の桜山公園 を訪ねています。 今年は、今回が三度目の訪問です。

桜山公園の桜は春と冬の2度、花が咲きます。 来年はここへ何度訪れることでしょうか?

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2009年11月13日

箕輪城まつり(続)

手作り甲冑の武者行列一行は、矢原宿通りを過ぎて箕輪小学校の校庭で小休止します。

一息入れた行列は、次の内宿から虎韜門(ことうもん)、三の丸、二の丸と練り歩いて、11時30分ころ本丸跡に到着します。

ここで行列と離れて、小学校裏の観音様口入口から、箕輪城本丸跡のアトラクション会場へと山道を登りました。

   <箕輪城本丸跡に用意されたアトラクション会場>
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<会場に到着の「赤の長野勢」(左)と「青の北条勢」(右)>
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  <熱演する箕輪城太鼓 (箕輪太鼓 市役所チーム)>
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勇壮な箕輪城太鼓演奏のあとは、生原地区の北野神社氏子による獅子舞いが披露されました。

五穀豊穣、家内完全を祈願して奉納される伝統の獅子舞は、
左からカンカチ、ホウガシ(雄)、メジシ(雌)、アトジシといいます。

      <獅子舞 (生原北野神社獅子舞保存会)>
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だんべい踊りのあとは、居合いの演技でアトラクションは終ります。

午後は、甲冑武者隊(350人)が入場して鎮魂祭を行い、その後、赤隊と青隊に別れて攻防戦(1部~5部)があります。

翌朝の新聞には、「赤の長野勢と青の北条方に分かれて、鳴り響く大砲もと 槍や刀を手に激戦を演じた」 と載っていました。

所用があって攻防戦を見ずに帰宅しました。 来年は最後まで見届けようと思っています。

      <だんべい踊り (misato だんべい会)>
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《箕輪城》 (国の指定史跡)
榛名山の山裾 旧箕郷町東明屋の西の丘陵標高273mの丘の上に築かれた。
永禄9年(1566)9月29日、甲斐武田勢の総攻撃により落城した。

時の城主業盛公(19歳)は、
       春風に うめも桜も 散り果てて 
                名のみぞ残る 箕輪の山里
の辞世を残して、一族主従自刃し果てたといいます。

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2009年11月12日

箕輪城まつり

10月25日、「第7回 箕輪城まつり」 を見に行ってきました。

午前9時30分、高崎市箕郷支所前で出陣式を終えた行列の一行は、四ツ谷交差点を粛々と進んできます。

 <大太鼓を打ち鳴らす先導に続く白装束の山伏と槍隊>
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 <武将の後に続く赤鬼隊(えすびっく社)と赤の少年隊>
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きつねの嫁入り の行列が下った矢原宿通りを、今度は箕輪城まつりの手作り甲冑の武者行列が歩いて上ります。

 <どらを打ち鳴らして矢原宿通りを上る赤鬼隊と忍者隊>
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  <校庭で休憩中の足軽隊と大砲を曳く赤鬼隊の一行>
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《箕輪城》
明応、永正の間(1500年頃)に、長野業尚(なりひさ)が築城し、
憲業(のりなり)、業政(なりまさ)、業盛(なりもり)と、4代にわたって拠点としていた城である。

長野氏は業政の代に全盛期を迎え、業政の死後子業盛のとき甲斐の武田の手に落ちて、永禄9年(1566)に落城した。     つづく

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