旅-栃木路

2015年6月 7日

龍頭の滝と湯滝

第一いろは坂の新緑、中禅寺湖周辺の新緑を眺めながらマイカーは龍頭の滝の駐車場に着きました。
ここで女性3人を降ろして、車は滝の上の駐車場へと回りました。

女性3人は滝の下から上流に向かって歩いてきます。
              <龍頭の滝入り口>
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上の駐車場に車を置いた私は、滝の左岸を下って行きます。
途中で女性3人と合流し、見事な滝を撮りながら再び上の駐車場へと戻ります。
              <流麗な二条の滝>
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         <階段状の岩場を流れ落ちる滝>
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滝の全長は210㍍とか、いろいろな形で流れ落ちる見事な滝を眺めながら国道120号に出ました。

国道120号の橋の上に立って、滝となる湯川の下流を撮りました。
正面に中禅寺湖が見えます。
            <湯川の清流(下流方向)>
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橋の上を反対側に回って、巨岩の間を流れくる上流を撮りました。
            <湯川の清流(上流方向)>
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龍頭の滝を発って、車で3㌔ほど走って戦場が原の東、三本松茶屋に着きました。 ここで遅い昼食です。
            <三本松茶屋と男体山>
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メニューは、それぞれ自分が食べたいものを選んでの注文です。
          <私が注文した卵丼(¥700)>
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昼食後は、道向こうの戦場が原展望台に立ちました。
「東の男体山と西の赤城山の神様が戦った場所」、と伝えられることからその名がついたと言う戦場が原です。

10数年前の若かった頃は、ここ戦場が原を何度か歩きました。
その懐かしい湿原と木立、目の前に広がって見えます。
         <展望台から眺めた戦場が原>
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展望台で女性3人の記念撮影です。
展望台の右手に、北へ向かって100㍍ほどの木道が有ります。
女性3人で木道を歩いて、戦場が原ウオーキングの体験をして貰いました。 
            <戦場が原展望台で>
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体験ウオークを済ませた女性たちを乗せて湯滝に来ました。
たくさんの小学生が野外学習に来て居て賑やかです。
見晴らし台の方も大混雑です。

ここは豪快な湯滝を眺めながら写真撮影を済ませて、再び車で上流の湯の湖へ向かいます。
                 <湯 滝>
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車は静かな湯の湖を左に眺めながら、湯元温泉内でUターンをして帰路に着きました。

2015年5月18日(月)晴れ
日光は憾満が淵の清流、並び地蔵(泣け地蔵)を見て歩きました。
その後日光東照宮の表参道を練り歩く豪華絢爛な 「百物揃千人武者行列」 を見学しました。
続いて、奥日光の名瀑二つを観賞した思い出に残る一日でした。

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2015年6月 6日

百物揃千人武者行列(完)

千人武者行列も、三基の御神輿が通り過ぎて白馬に跨る宮司を迎えて終盤を迎えます。
               <宮司(ぐうじ)>
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宮司の後に二人の禰宜が続きます。
               <禰宜(ねぎ)>
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行列の最後は、里山伏の先導を受けながら烏帽子姿の役員が通過して武者行列は終りました。
   <里山伏(さとやまぶし)と産子会役員・後衛副幹事長>
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私たちは五重塔を観に東照宮へ向かいます。
           <葵の御門が付いた石柱>
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大鳥居の手前で振り返って見ました。
大勢の観客が行列の後について御旅所へと向かっています。
            <御旅所へ向かう観客>
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               <一の鳥居>
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五智如来を本尊として安置する、高さ31,8㍍という五重塔です。
下四層が和様、最上層が唐様造りの極彩色華やかな塔です。
                <五重塔>
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この後、国道120号の第一いろは坂を上って中禅寺湖を経由して竜頭の滝へ向かいました。

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2015年6月 5日

百物揃千人武者行列(5)

御枕木の後に大きな黄金の御幣が続きます。
              <御幣(ごへい)>
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続いて乗馬の禰宜2人が来ます。 
その後に大勢の素袍著(すおうぎ)が続きます。
               <禰宜(ねぎ)>
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             <素袍著(すおうぎ)>
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            <巴太鼓(ともえだいこ)>
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            <御枕木(おんまくらぎ)>
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        <御幣(ごへい)と素袍著(すおうぎ)>
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隣りにカメラを持った外人さんが居ます。
その外人さんに10 円玉を渡して、御神輿に向かって投げる所作をして、頭を下げて合掌をして見せました。

家康公の神輿が前に来ました。
神輿に向かって賽銭を投げました。 外人さんも投げました。

神輿が通り過ぎて、隣の外人さんと顔見合わせてにっこりです。
       <御本社神輿(ごほんしゃみこし・家康公)>
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           <茗荷太鼓(みょうがたいこ)>
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            <御枕木(おんまくらぎ)>
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             <御左神輿(秀吉公)>
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             <御右神輿(頼朝卿)>
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三基の御神輿の後に、それぞれ数人の子供猿が付いています。
よく見ると、御神輿に投げられて落ちた賽銭をを拾って行きます。

私の方は腕を伸ばして御神輿を撮るのが精いっぱいでした。
神輿の後に続く可愛い子供猿は撮りこぼしました。    つづく

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2015年6月 4日

百物揃千人武者行列(4)

10数本の斎鉾(いみほこ)と祭旗が通過して行きました。
続いて徳川家の御紋、葵の紋が付いた葵太鼓が来ました。
            <葵太鼓(あおいたいこ)>
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              <猿牽(さるひき)>
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              <宮仕(みやじ)>
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              <神人(じにん)>
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              <鉦鼓(しょうこ)>
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珍しい太鼓と鉦鼓です。
             <荷太鼓(にたいこ)>
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             <荷鉦鼓(にしょうこ)>
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             <鷹匠(たかしょう)>
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            <御枕木(おんまくらぎ)>
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枕木が来ました。 間もなく御神輿が来るのでは ・・・・。  つづく

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2015年6月 3日

百物揃千人武者行列(3)

勇壮な鎧武者は、総勢100人の行列です。
煌びやかな鎧兜など、四百回忌式年祭に合わせて新調したとか。
          <鎧武者(よろいむしゃ) 100人>
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勇壮な鎧武者の後は、可愛い稚児行列です。
頭の冠は重たそうです。 可愛い腕で支えて居ます。

冠をよく見ると、十二支の動物の模様が付いています。
十二支の可愛い稚児さん、行列とどんな関係があるのでしょう。 
               <稚児(ちご)>
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稚児行列の後は掛面50人です。 こちらのお面も新しいようです。
般若や翁、青鬼・赤鬼、狐面などが通過して行きます。
           <掛面(かけめん) 50人>
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             <御翳(おさしば)>
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          <御太刀禰宜(おんたちねぎ)>
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           <御旗禰宜(おんはたねぎ)>
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十数本の斎鉾(いみほこ)と祭旗が通過して行きます。
             <斎鉾(いみほこ)>
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             <祭旗(さいき)①>
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             <祭旗(さいき)②>
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             <祭旗(さいき)③>
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千人武者行列は中ほどでしょうか、次々と通過してきます。 つづく

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2015年6月 2日

百物揃千人武者行列(2)

百物揃千人武者行列は、進むにつれて佳境に入って来ます。
          <田楽法師(でんがくほうし)・笛>
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        <田楽法師(でんがくほうし)・八乙女>
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               <禰 宜(ねぎ)>
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             <権宮司(ごんぐうじ)>
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            <御神馬(ごしんめ)①>
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御神馬3頭は、先頭の白馬が家康公、次が秀吉公、続いて頼朝卿の御神馬ではと思いながら観て居ます。
            <御神馬(ごしんめ)②>
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            <御神馬(ごしんめ)③>
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              <御鉄砲持 50人>
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               <御弓持 50人>
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               <御槍持 50人>
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槍持ちの後続は、煌びやかな鎧武者が続いて見えます。 つづく

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2015年6月 1日

百物揃千人武者行列(1)

午前11時、花火の合図とともに武者行列が始まりました。

表参道を下の方から白装束の一団が、木を曳きずりながら東照宮に向かって進んできます。
案内によれば、これは「御旅所渡御御迎御榊」の儀で、御旅所から白張50人が榊を引いて二荒神社へ向かうものです。
            <御迎御榊の白張一行①>
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私達の前に来ました。
前に居た友達が、手を差し出して手前左側の白張から御幣の一部と葉が付いた木の枝を貰いました。

案内には榊とありましたが榊ではありません。
まだ葉っぱが出たばかりの柔らかい葉の若い木のようでした。
            <御迎御榊の白張一行②>
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御幣の端切れと葉っぱ付きの木の枝は、家に帰ってから友達3人で分けあって、今年一年間のお守りとしています。
         <御幣の端切れと木の葉のお守り>
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午前11時、花火の合図と共に百物揃千人武者行列が出発です。
               <行列の先頭>
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案内には載って居ないのですが、先導者と言えばいいのでしょうか、行列の一番前を4人で並んで来ました。
               <先導者? 4人>
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               <前駆幹事長>
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              <奉行産子会長>
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               <産子会役員>
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         <兵士鉾持(へいしほこもち)100人>
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      <職士鉾持(しょくしほこもち・左)と獅子(しし)>
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黄金の獅子が通ります。
                 <獅 子>
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千人武者行列は始まったばかりです。          つづく

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2015年5月31日

日光・憾満が淵(3)

太谷川に架かる含満大谷橋を渡って、近くの浄光寺を訪ねました。
                 <山 門>
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本堂前の境内にたくさんの仏像が並んでいます。
               <薬師如来坐像>
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浄光寺を訪ねた大きな理由の一つに、
憾満親地蔵御首(かんまんおやじぞうおんくび)を拝観したかったのです。 ありました。 見つけました。  合掌
 
「明治30年(1903)の大谷川の大洪水で、並び地蔵の奥(上流方向)に置かれていた親地蔵も流されました。
川底に埋没したいたその御首を地元の人が見つけて、ここ浄光寺に安置したもの。」 です。         (この項「案内」より)
              <憾満親地蔵御首>
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本堂の右手に合った、菅笠日限(すげがさひぎり)地蔵尊堂です。
菅笠日限地蔵尊? 案内を読めば、
「日を限って至心(ししん、一生懸命)に祈願すれば願いが叶う。」
という、菅笠をかぶったお地蔵尊です。

菅笠をかぶったお地蔵様、拝観することはできませんでした。
              <日限地蔵尊堂>
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阿弥陀如来を祀るという、浄光寺の本堂です。
                 <本 堂>
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境内にあった 「防火隊碑」(日光市指定文化財)です。
江戸時代、東照宮などを守るため 「日光火之番」 を創設して、その任に当たって居た。
その任に当たって居た者のうち10人が当地に置いて客死した。  
その客死した者たちの供養碑です。     (要旨 「案内」 より)
                <防火隊碑>
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推定年齢550年という檜です。
長年盆栽仕立てで剪定したため、気孔線のY字が通常の十分の一ほどの大きさとか。
                  <檜>
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山門の裏側の境内にあった梵鐘(栃木県措定文化財)です。
日光山最古の梵鐘で室町時代に奉納されたものといいます。
梵鐘は工芸的にも優れているため戦時の供出を逃れたが、現在は亀裂が生じて使用されていないとか。
                 <梵 鐘>
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午前11時から 「百物揃千人武者行列」 が始まります。
東照宮表参道へと急ぎます。

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2015年5月30日

日光・憾満が淵(2)

慈雲寺の横で、前を流れる大谷川に面して並ぶ石地蔵尊です。
                <石地蔵①>
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当初は100体余りあったという並び地蔵尊も、いまは74体とか。
大谷川の氾濫に出合ったものでしょうか、頭部を前に置いて並ぶ石地蔵尊(右)もありました。
               <石地蔵②・③>
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        <大谷川へ流れ落ちる一条のミニ滝>
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大谷川の渕に建つ霊庇閣です。
晃海大僧正が四阿(あずまや)造りの護摩壇で、対岸の不動明王の石像に向かって、天下泰平を祈り護摩供養を行った場所と言います。
                <霊 庇 閣>
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霊庇閣から少し上流に来て並び地蔵(化け地蔵)との出会いです。
参詣者がここの地蔵を数えて見ると、そのつど数が違うとことから化け地蔵とも呼ばれるようになったと言われています。

列座の奥には親地蔵が置かれていたと言います。
また一番手前の大きめの地蔵には、ここ憾満が淵の地名ともなった 「かんまん」 の梵字が書かれているとか。
             <並び地蔵(化け地蔵)>
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            <並び地蔵の間 に入って>
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          <上流方向から見た並び地蔵>
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奥の細道行脚の途中で、松尾芭蕉も立ち寄った所と言う大谷川の清流です。
              <大谷川の清流①>
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              <大谷川の清流②>
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芭蕉句碑はこれより上流にあるのですがここから引き返します。
途中、由緒ある浄光寺を回って東照宮の表参道へと向かいます。

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2015年5月29日

日光・憾満が淵(1)

今年、徳川家康公400回忌という日光東照宮です。
5月18日、春の式年大祭の一つ 「百物揃千人武者行列」を友達と観に行きました。

早めに着いた日光市です。
武者行列が出るまでの間、憾満が淵へ並び地蔵(化け地蔵)を観に行きました。

民家の石垣の前を流れる小川に咲いていたクリンソウです。
               <クリンソウ①>
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               <クリンソウ②>
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               <クリンソウ③>
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近所の住宅の庭に咲いていたセイヨウオダマキです。
             <セイヨウオダマキ>
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こちらは垣根越しに咲いていたツツジです。
                <ツ ツ ジ>
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朱塗りの小さなお堂は、聖徳太子を祀る西町太子堂です。
               <西町太子堂>
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綺麗な羽を見て、蝶と思って撮りましたがよく見ると蛾のようです。
                  <蛾?>
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日光をこよなく愛されたという大正天皇御製歌碑です。

     衣てもしぶきにぬれて大谷川
                  月夜涼しくきしづたひせり

案内には、
「大正天皇は、明治29年(1896)から大正14年(1925)にかけて、述べ1千余日も日光に滞在されている。」 と記されています。
             <大正天皇御製歌碑>
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大正天皇御製歌碑の直ぐ裏手にあった慈雲寺山門です。
                 <山 門>
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山門をくぐると大谷川に面して建つ慈雲寺本堂です。
「承応3年(1654)に、憾満が淵を開いた晃海大僧正が創建し、
阿弥陀如来と師の慈眼大師天海の像を祀る。」 との案内です。
                 <本 堂>
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本堂の向こうに赤い帽子とよだれかけを付けた石地蔵が、大谷川に面して並んでいます。 行って見ます。       つづく

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